沖縄基地問題の起源―『沖縄米軍基地と日米安保』に寄せて―【上】

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 沖縄の領土主権をめぐる日本政府の対応

 

それでは、沖縄基地問題の起源を探る際には何に注目すればよいだろうか。言い換えれば、どのような視点から、第二次世界大戦後初期の沖縄をめぐる日米関係を追えばよいのだろうか。

先に触れたように、本書では沖縄米軍基地の役割の変化に着目した。意外に思われるかもしれないが、この視点の重要性に気が付いたのは、実は日本側の考察に集中的に取り組んでいた時であった。沖縄基地問題は日米二国間の問題であるのだから、日本側の構想もしっかり知っておきたいという単純な考えから、まずは占領期の日本の構想に焦点を当てようと研究に着手したのである。

既存の研究や外交文書を読み進めてみると、沖縄を領土として残すべく、日本政府が終戦直後から対応し始めていたことを、すぐに知ることができた。本土とは異なり、沖縄は「ポツダム宣言」上、戦後も日本の領土として残されるかどうかが曖昧であった。「ポツダム宣言」の領土条項である第8項は、北海道、本州、九州および四国という主要四島を日本の領土として残すことを確約する反面、沖縄の帰属先を明記していなかった。そのため、日本政府は沖縄の領土主権問題を講和問題の一環と捉えたのである。

そこで私は、日本政府の取り組みの過程を把握するべく、ひとまず時系列に外交文書の概要を並べてみることにした。日本の構想を時系列に辿るというこの作業を通して浮き彫りになったのが、沖縄米軍基地の役割の変化であった。

 

沖縄米軍基地の役割の変化

 

戦後も沖縄を領土として維持できるかどうかは、沖縄戦以来、沖縄で基地の建設を進めていた米国の政策次第だと当時の日本政府は推察していた。そのため、米国が沖縄米軍基地に与えた同時代的な役割を見極めようと奮闘していた。その奮闘の様子を考察したことで、日本政府の構想の前提となった沖縄米軍基地の同時代的な役割には、どうやら変化があったようだと気が付いた。沖縄米軍基地の役割が変化していたという、これまで正面からは扱われてこなかった論点に図らずも辿りつくことができたのである。

なるほど、沖縄基地問題は、そもそもは沖縄に米軍基地が存在することに由来する問題である。そうであるならば、米国が沖縄に米軍基地を設置した当初から、その目的と同基地に期待された役割を順に辿ることが必須となるのではないか。

この推測をもとに実際に辿ってみると、沖縄米軍基地が、当初は戦後日本の非軍事化を監督する役目を負っていたという、これまであまり知られてこなかった事実に行き着いた。しかし、冷戦と呼ばれる米ソを中心とした対立が本格化したことで、日本の安全保障を確保するという、それまでとは真逆の役割を同基地は担うようになった。そして講和後になると同基地は、本土の米軍基地が米国の意図通りに使用できなくなる場合に備えた、「担保」としての役割も期待されるようになっていたのだった。

こうして、以上の変化を日米の沖縄構想や政策を考察する際の軸に据えたのである。

 【下に続く】

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