本稿では、引き続き拙著『沖縄米軍基地と日米安保―基地固定化の起源1945-1953』(東京大学出版会、2018年)の内容について紹介させていただく。とりわけ、日米両政府の沖縄をめぐる構想や政策を検証する際に気をつけた点を軸に、より具体的な内容にも触れていきたい。
米国外交の基本枠組みと沖縄
研究を進める上で特に留意したのは、国際政治情勢の変化や米国のグローバルな戦略の展開と関連付けて解釈することだった。その時々の日米両政府の外交の基本枠組みの中で、沖縄構想や政策を意味付けることに力を注いだのである。その理由は、沖縄に関する外交文書が予想に反して日米ともに少なかったこと、そしてこれは学術的ではないかもしれないが、沖縄基地問題の歴史的経緯を可能な限り分かりやすく説明したいという思いがあったことの二点にある。
一つ目については本書でも触れた点であるが、沖縄に直接言及した外交文書が意外に少なかったからである。そのように感じ取ったことで、沖縄をめぐる問題は当時の日米両政府にとって数ある外交課題の一つに過ぎなかったのだという、重要なポイントを再認識することができた。この点に気が付くことがなければ、沖縄基地問題が現在でも日米の外交課題であり続けているがゆえに、同問題の同時代的な優先順位を見誤りかねなかった。
沖縄米軍基地の来歴を明らかにする上で不可欠であったのが、米国の対外政策の概要を把握することである。いうまでもなく、米国はグローバルな戦略の下で外交方針をたて、その一部としてアジア政策、そして対日・対沖縄政策を立案していた。本書が扱った第二次世界大戦後初期には冷戦が始まり、欧州がその主戦場となった。そのため、米国にとって最優先の外交課題は、欧州においていかに冷戦を戦い抜くかであり、アジアにおける問題は二次的な扱いになっていた。
このような当時の状況を踏まえれば、沖縄米軍基地の役割が変化していたことの背景を明らかにするためには、米国の対日・対沖縄政策をその欧州政策、アジア政策と連動させながら考察することが肝要となる。このような作業を通して初めて、沖縄米軍基地の同時代的な存在意義を理解することができたのである。