沖縄の戦後に向き合うー『米軍が最も恐れた男―その名は、カメジロー』を上映して

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2018年5月26日、筆者の所属先である成蹊大学アジア太平洋研究センターの主催で、佐古忠彦監督『米軍が最も恐れた男―その名は、カメジロー』(2017年公開)を上映した。
アジア太平洋地域に関連する各分野の研究とその成果の発信を主目的とする弊センターでは、テーマを決めた上で、一般の方にも広く参加してもらう上映会を開催している。今年度は、「沖縄の戦後に向き合う」ことをテーマに、戦後の米国占領下の沖縄で、米軍の圧政と闘った抵抗運動のシンボル、瀬長亀次郎の信念を貫いた人生を追った本映画を扱うことに決めた。本映画を通して、沖縄の「過去」と「現在」を結びつけ、「未来」について参加者とともに改めて考えたいとの思いからである。

沖縄出身である筆者は、瀬長亀次郎の名前は以前から知っていたが、どのような人物かを詳しくは知らなかった。そこで、本映画上映後の解説を担当するにあたり、佐古監督の著作『「米軍が恐れた不屈の男」瀬長亀次郎の生涯』(講談社、2018年)を読み、沖縄県那覇市にある瀬長亀次郎の記念館「不屈館」を訪れた。そこで本稿では、それらの経験を通して学んだことも交えながら、上映会の様子を記していきたい。

成蹊大学アジア太平洋研究センター主催の『米軍が最も恐れた男―その名は、カメジロー』上映会で解説する筆者

 

 民衆と常に共にあった政治家、瀬長亀次郎

 

昨年公開された『米軍が最も恐れた男―その名は、カメジロー』は、沖縄基地問題をめぐる昨今の状況に対する佐古監督の強い問題意識の下で製作されたものである。佐古監督によれば、沖縄基地問題をめぐり存在する沖縄と本土との間の温度差や溝は、沖縄の歴史が広く知られていないことに起因しているという。そこで、戦後沖縄の重要人物である瀬長亀次郎(以下、亀次郎)を通じ、沖縄の過去を広く知ってもらおうと考え、ドキュメンタリー番組を製作し、これを映画へと発展させたのだという。

映画全体を通して強調されていたのは、亀次郎が沖縄県民のために人生を捧げた政治家であったこと、そしてその歩みが常に民衆とともにあったことである。つまり、亀次郎は「民主主義を武器にした闘い」を展開したのである。
米国による数々の理不尽な統治政策に対して、亀次郎は徹底的に抗った。そのため、政治家としての活動を開始してから間もなく、不当ともいえる理由に基づき逮捕、刑務所に収監された。那覇市長に就任すると、米国による市政への度重なる妨害行為が行われ、亀次郎は1年も経たずに市長の座から引きずり降ろされた。

しかしながら、民衆は常に亀次郎の味方だった。刑務所を出所した際には、大勢の人々が刑務所周辺の沿道を埋め尽くし、喜びを分かち合った。亀次郎が那覇市長になってからは、市民は納税率を上げることで市政を支え、多くの人が手紙を通して亀次郎を励まし続けた。亀次郎と沖縄の民衆は互いに支え合い、団結することで、米国統治下を生き抜いたのである。沖縄の日本本土復帰は、そのような亀次郎と民衆の強い団結力がなければ、実現しえなかったのである。そこに、何万人と集結して、何かを訴えるという沖縄県民の行動の原点を、見出すことができるのである。

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