沖縄の戦後に向き合うー『米軍が最も恐れた男―その名は、カメジロー』を上映して

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来場者の反応

 

本上映会は、300人を超える市民の方々にご来場頂いた。本映画の上映後に実施した質疑応答やアンケートでは、来場者のコメントが以下の二点に集中していた。

一つ目は、亀次郎の生き様に感動したという感想である。とりわけ指摘されていたのが、亀次郎の政治家としての生き様と安倍政権との対比であった。民衆に常に寄り添った土着の政治家であった亀次郎と、沖縄の人々に向き合おうとしない現政権の姿勢があまりに対照的である、との指摘である。そのような感想には、亀次郎のような政治家が今は存在しないことに対する失望感が漂っているように感じられた。

二つ目は、沖縄の歴史を知らないことを痛感したとの感想である。沖縄戦や沖縄施政権返還などの歴史的な出来事は知っていても、米国統治下の沖縄のことなど沖縄の戦後史について知らないことが多かった、との感想を記して下さった方が多数いらっしゃった。

その中でも印象的だったのは、沖縄の歴史を知ると、沖縄基地問題が日本全体の問題であることを痛感したという記述である。また、沖縄基地問題についてこれまで以上に主体的に考えていきたいとの感想を記された方も多かった。これらの感想からは、事実を共有すること、つまり歴史を知ることの重要さを説く佐古監督の意図が来場者にしっかり伝わったことを実感した。

 

「民主主義を武器にした闘い」の実現

 

前述のように、佐古監督は、沖縄基地問題をめぐり存在する沖縄と本土との間の温度差や溝を埋めるべく、沖縄の歴史をとりわけ本土の人に知ってもらうことを本映画制作の動機としている。しかし、本映画からは、亀治郎の取り組みのキーワードである「民主主義を武器にした闘い」が、今日の沖縄基地問題を考えるにあたっても極めて重要であることを、佐古監督は示唆されているように筆者には感じられた。

それは「民主主義を武器にした闘い」を本土にまで広げること、具体的に言えば、沖縄基地問題が日本全体の問題であるという認識が高まる状況を本土に創りだすことである。佐古監督は、そのような未来の実現への第一歩として、本映画を制作されたのではないだろうか。

亀次郎による「民主主義を武器にした闘い」を構成していた、情報発信と国民の団結。筆者は、上映会を通して、沖縄基地問題の今後を考える際の大きなヒントを得たように思う。

 

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