沖縄保守政治家の矜持~追悼 翁長知事

この記事の執筆者

「基地問題を具体的に解決に導かなければならないという強い使命感があった」

翁長雄志知事の思いをこう代弁するのは、沖縄県嘉手納町の町長を1991年から5期務めた宮城篤実氏(82)だ。勇退後は翁長氏の支持母体「ひやみかち・うまんちゅの会」の会長を務めた。

「事務所にいてくれるだけでいいんです」

翁長氏はそう言って、「兄貴」と慕い続けた宮城氏を2014年の知事選の「本陣」に招じた。

真和志村(現那覇市)長だった父、沖縄県議や副知事を務めた兄を持ち、沖縄の保守本流の政治家一家のサラブレッドとして育った翁長氏。那覇市議、沖縄県議、那覇市長と積み重ねた政治家のキャリアの集大成として知事選に臨んだ際、頼りにしたのは町面積の8割超が米軍基地を占める「基地の町」で長年自治を担った宮城氏だった。

2人が最後に対面したのは昨年のこと。翁長氏は夕日が映える沖縄本島西海岸のリゾートホテルに宮城氏を呼び出した。がん再発の告知を受ける前の翁長氏は、ワインを1本空けた。宮城氏はこう振り返る。

「脳梗塞を患ってから私はソフトドリンクしか飲みません。ワインは1杯だけ付き合いましたが、彼(翁長氏)はなかなか帰ろうとせず、3時間も話し込みましたよ」

2人きりで話すときは、いつもウチナーグチだ。思い出話に花が咲いた。

米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設を容認する、県内の政治勢力の中心にいた翁長氏の姿勢に転機が訪れたのは在日米軍再編だ。

200512月、那覇市長だった翁長氏は、海上自衛隊のP3C哨戒機で小笠原諸島の硫黄島(東京都)の自衛隊基地などを視察後、記者会見を開き、普天間飛行場の同島移設を提起した。このとき、翁長氏は宮城氏にも硫黄島視察の同行を請う。

3市町にまたがる広大な敷地に大学や教会、ゴルフ場もある米空軍嘉手納基地を町内に抱える宮城氏は「兵士の生活環境を重視する米軍が硫黄島に行くわけがない」と考え、同行はしなかった。

この記事の執筆者