忘れてはならない「原点」とは~普天間・辺野古問題

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書かないといけないという意識

沖縄県警は当初、未成年者が被害者となる強姦事件がおきたことは記者クラブを通じて発表していた。地元紙は当日のうちに米兵の関与を含む事件の概要をつかんだが、警察を通じ、「報道を控えてほしい」という家族の意向を伝えられたこともあり、この段階での報道を控えた。

NHK沖縄放送局の県警担当記者も間もなく、「容疑者は米軍人3人」との情報を得た。その直後、沖縄県政を担当していた同局の立岩陽一郎さん(52)にもデスクから声がかかった。立岩さんによると、当時、局内部で「報じるべきだ」と考える人は少数派だったという。

「少女の人権に配慮し、報道は控えるべき」「こんな事件を報じても全国ニュースにはならない」

そんな声が沖縄勤務経験の長い中堅記者を中心に上がった。当時4年目の記者だった立岩さんも、局内のそうした声に同調しないまでも理解はできる、と考えていた。

前年の94年。米空軍嘉手納基地所属のF15戦闘機が住宅地近くに墜落する事故が発生したときも、全国枠では十数秒間のニュースで流されただけだった。

立岩さんは「恥ずかしい話ですが……」とこんなエピソードも明かした。

沖縄局の同僚記者が在沖米軍トップの四軍調整官にインタビューした際、彼が繰り返す「ソーファー」の意味が理解できなかった。これは「SOFA」、つまり、日米地位協定(U.S.―Japan Status of Forces Agreement)の略語だが、当時は国際畑のデスクですら意味がわからず、立岩さんが地元紙の基地担当記者に聞いて初めてわかったという。それぐらい、日米地位協定の問題は当時の取材対象から縁遠かったのだ。

しかし、F15の墜落にしろ、今回の事件にしろ、これがもし東京23区で起きたらどうだろうか。本当に報じなくていいのか―という疑問が立岩さんにはぬぐえなかった。

前年まで県警担当だった立岩さんは気心の知れた刑事部長に面談し、NHKとして事件を報じることも検討していると伝えた。刑事部長は表情をゆがめ、一言、「この事件は許せない」と吐露した。刑事部長は地元採用のノンキャリアのトップだ。立岩さんは「保守的な官庁の象徴ともいえる警察組織の地元採用組のトップが、『許せない』と言う事件は、やはり許せないんだ」と受け止めたという。

「これは大変な事件だ、しっかり腰を据えて取材しなければいけないと感じた瞬間でした。しかし正直、この段階では『どこまで大変なのか』はわかりませんでした」(立岩さん)

NHKは事件発生から数日後、被害者が特定されないよう極力配慮した表現で、米兵3人が容疑者に浮上していることを報じた。結果的に地元紙を先んじる形になったが、立岩さんは「特報したというより、書かないといけないという意識」だったと当時を振り返る。

この後、立岩さんは若手のディレクターやカメラマンとチームを組んで事件の背景にある基地問題の取材に取り組んだ。米兵の本音に迫ろうと、米軍基地が集中する沖縄本島の中北部でマイクを向け、「被害者は1人だけなのに、なぜこんなに騒いでいるのか」と悪びれない兵士の声も収めた。リポートは「企画もの」として全国中継のニュースで報じられた。リポートの後、スタジオのキャスターがこの発言にあえて触れ、「不快」と憤った。主観を露わにした、このときのキャスターのコメントは「NHK内部で物議を醸した」(立岩さん)というが、立岩さんには別の記憶も強く印象に残っている。

数日後、取材で訪ねた県幹部の自宅を辞す際、幹部の妻が「NHKのキャスターさんが、あれほどまでに沖縄のことを考えてくださって……」と涙をこぼしながら見送ってくれたのだ。

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