慶応と沖縄戦~激戦地への命令は1500km離れた豪華なキャンパスから…なぜ?

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暗闇の激戦地、蛍光灯の司令部

あれから76年。慶応大学の「日吉学」という授業で、10代、20代の学生たち、そして先生たちとともに日吉キャンパスに残る戦争遺跡を通して戦争のことを学ばせてもらっている。

 私は沖縄戦の悲惨な地上戦のこと、今も処理が続く不発弾のこと、遺骨のことなどを講義させてもらい、日吉のことは慶応のその道の先生たちが授業をし、学生たちに対比を大切にしてもらうような仕掛けになっている。

連合艦隊が日吉に入った1944年9月29日以降、日本は絶望的な戦いを強いられていた。沖縄戦の前哨戦「10・10空襲」で、9時間にわたる無差別攻撃によって旧那覇市街の90%が焼失していた中、連合艦隊のトップたちは安全な建物で戦略を練っていた。

 そして、現場を知らない人たちは、爆弾を抱えたまま相手の軍艦に体当たりする「神風(しんぷう)特別攻撃隊」で多くの若い命を沖縄に向かわせた。

 沖縄の地上では、砲弾だけでなく、飢え、マラリア、集団自決(強制集団死)、日本軍からのスパイ視による虐殺など、さまざまな理由で住民の命も消えていった。爆撃に遭いながら、暗闇の中をさまよう中、司令部は最新の蛍光灯、床暖房もある寄宿舎で、やめることができない戦争を指揮していた。

 以下、「日吉学」で学ぶ学生の感想だ。

 「日吉における戦争とかけ離れた生活(それほど空爆はないのにしっかりした地下壕が存在したり寄宿舎を使用したりするなど贅沢な生活)がやはり現地から見ると許されるものでないように感じた」

「現場と指示を出す側とのギャップが1番表れているのが沖縄戦だと思います。同じ日本なのに、日本軍と沖縄の住民ではまるで違う陣営同士のような印象をうけます。日吉も沖縄戦の状況を逐一聞きながら、どのように思っていたのでしょうか」

 沖縄という場所から見た戦争と、日吉から見る戦争。それぞれの場所から見える史実が交差することで、戦争を自分事として捉え、未来に受け継がれていく契機となると考えている。

<この記事はYahoo!個人から転載しました>

<参考文献など>

「戦争の真実シリーズ①本土空襲全記録」(NHKスペシャル取材班、KADOKAWA、2018年8月)

「戦争の社会学」(橋爪大三郎、光文社新書、2016年7月)

「法廷で裁かれる沖縄戦 被害編」(瑞慶山茂編著、高文研、2016年6月)

「フィールドワーク 日吉・帝国海軍大地下壕」(日吉台地下壕保存の会編、平和文化、2006年8月)

「本土決戦の虚像と実像」(日吉台地下壕保存の会編、高文研、2011年8月)

「きけ わだつみのこえ」(日本戦没学生記念会編、岩波書店、1995年12月)

「沖縄方面陸軍作戦」(防衛庁戦史室)

日吉台地下壕保存の会 http://hiyoshidai-chikagou.net/

慶應義塾大学アート・センター http://www.art-c.keio.ac.jp/news-events/event-archive/event-00239/

NHK戦争証言アーカイブス https://www.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/

時事通信社「沖縄戦 写真特集」https://www.jiji.com/jc/d4?p=boi430&d=d4_mili

沖縄県公文書館 https://www.archives.pref.okinawa.jp/publication/uminookinawasen.pdf

那覇市沖縄戦概説 https://www.city.naha.okinawa.jp/kurasitetuduki/collabo/heiwa/heiwahasshintosi/gaisetu.html

沖縄県HP https://www.pref.okinawa.jp/site/kyoiku/kids/index.html

沖縄タイムス「沖縄戦デジタルアーカイブ」http://app.okinawatimes.co.jp/sengo70/index.html

<講義>

慶応大学教養研究センター設置科目「日吉学」

安藤広道(文学部教授)都倉武之(福澤研究センター准教授)福山欣司(経済学部教授)

不破有理(経済学部教授)大出敦(法学部教授)阿久澤武史(高等学校教諭)杵島正洋(高等学校教諭)太田弘(教養研究センター講師)

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