「記録する闘い」~DHC『ニュース女子』一審判決を取材して

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日本に生まれて良かった、その意味はー

在日コリアンを攻撃するヘイトスピーチが沸き起こってきたのは、2000年代と言われます。2000年、当時の石原慎太郎東京都知事が旧植民地の人びとを蔑んで呼ぶ「三国人」と発言したころから兆しが生まれます。辛さんは、この時から抗議の声をあげています。

「社会のもっとも弱い構造的弱者です。この人たちを標的にしているんです。

つまり明確な弱いものいじめです」

ビジネスの世界で活躍していた辛さんが、市民運動の世界へ舵を切っていくことになるきっかけです。差別的言説が充満してゆく社会がそうさせたとしか言えません。昔も今も社会にこだまする官製の「犬笛」。DHCテレビが、辛さんや支援者たちに対する非難を続けたことで、辛さんは会見するたびにネット内の攻撃が強まったと振り返ります。

だからなのか、判決の日の会見で、勝訴についての感想を求められた辛さんは「日本に生まれてよかった」と言い、そのまま引用して記事化した新聞もありました。

私は大きな違和感を覚えます。この言葉に対する大きな揺れは、この原稿が当初書けなかった理由のひとつです。「日本」という表現を、記事を読んだ読者はどう受け止めただろうか。もし「日本国」と解釈したなら、それは違うのではないか。考えを巡らすと無性に苦しくなったのです。

 新型コロナウィルス禍が広がる直前、韓国の釜山からバスに揺られて慶尚南道へ向かう辛さんに私たちは同行取材しました。2020年2月1日、弟の義剛さんの遺骨を大事に抱えた辛さんは、父親の生まれ故郷に建つ築200年の旧家で、たったひとり小さなチェサ(法事)を行いました。そばの竹林が風に揺れる音だけが響きます。そして、この地が故郷ですか?との私の問いに、こう返します。

「とても懐かしく愛おしく思うけれど、私や弟のふるさとは、渋谷区笹塚でしょう。そして、そこを中心とした人間関係や友達がふるさとですよね。だから故郷は土地ではなく、

誰と生きたかとか、誰と生活をしたかとか、どんな思い出があるか」

「弟の周りでなんとか一緒に生きてくれた人たちは、国境も民族も性別も越えていたわけですよ。だから、そういう人に支えられてなんとか命がもった」「痛みを教えてくれるよね、あの子は。人間の心の痛みをね。それにちょっと答えたいと思うよね」

 「在日は難民だと思う」、そんなふうに辛さんが述べた言葉も忘れられません。『わたしと弟』では最後、次のように語りかけます。

「国家というのは自分を苦しめるものではあったけれども、自分が救われるものではなかったと思っているのね。国家はフェイクですよ。国を愛するんだったら人を愛した方がいい」

 日本人のマジョリティーはきっと「国家はフェイク」とは思わないでしょう。しかし、広く世界を直視すれば、そう感じて彷徨い人になった民族が大勢存在することは否めません。

21世紀になっても事情は変わらず、ミャンマーのロヒンギャ問題もその一例です。

「虎ノ門ニュース」が一審判決を歪曲して報じているのを知ってなお、「日本に生まれてよかった」と語る辛さんの言葉は、想像力をフル回転させなければきちんと理解できない、とてつもなく深い意味が隠されているのです。私の解釈もズレているかもしれません。その言葉のひとつひとつの意味を問うことをしなければ、次につながる心の扉は開かれません。

「記録に残す」ための闘い

「虎ノ門ニュース」の人たちは、敗訴したのに勝ったかのように振る舞いました。いっぽう辛さんは、勝訴したのに負けたような哀しみを浮かべ、不安を抱えています。その不安は、ひとつ的中します。なんと、私が勤務するMBSという大阪の足元で。

 10月4日からMBSラジオ(2021年4月から分社化)の朝6時からの帯番組で、いま述べてきた民族差別とフェイクニュースに加担してきた人たちが登場するというのです。すなわち、須田慎一郎氏と上念司氏その人です。さらに、「コロナはさざ波」発言で5月に内閣官房参与を退職した高橋洋一氏も含め、曜日ごとにニュース解説するコメンテーターとして出演することになったのです。ひとりの局アナが通しでパーソナリティーを務める朝の看板番組です。

MBSは、茶屋町という地にありますが、「茶屋町が虎ノ門に!?」という驚きとともに非難の声があがっています。コメンテーターを選ぶ権限を持つ番組プロデューサーに対し、周囲の誰も止めなかったのでしょうか。バランスをとるために立場の異なるコメンテーターを配する案すら出なかったのでしょうか。底なし沼のような鈍感さに私は唖然とします。

9月22日、ラジオ社は新番組について会見し、「文化放送やニッポン放送で実績のある御三方なのでお願いした」「特定のスポンサーはついていない」と説明したということです。他局がやっているのを模倣しただけ、と言いたいのでしょうか。

差別や排他主義を見過ごして放置しているとどうなるのか。歴史を振り返って考えてみれば明白です。民間放送というメディアは、戦後より良い社会をつくるために生まれました。流言飛語や偏見を排するという使命は基本中の基本です。それがもう忘れられているのだとしたら、いまは戦後ではなく、戦前へ移行していると言えそうです。世界が激動する中、しだいにマジョリティーの側の人たちも不安に苛まれていくでしょう。傷ついた人びとの顔をたくさん思い浮かべながら私は考え続けています。この問題には、寛容ではいられません。もう限界です。判決を受けての会見で、強く印象に残った辛さんのことばです。

「記録に残すためには、全て曝け出すこと。私の全てを曝け出し、その上で判断してもらう。どのように生きてきたのか、飾ることなく、ありのままで、ぶつけていくことしかないと思う。それが、私にとって記録に残すことです。」

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