「記録する闘い」~DHC『ニュース女子』一審判決を取材して

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勝訴なのに、哀しみが満ちていた

2021年9月1日、ある民事裁判の判決の日。原告の記者会見をオンラインで見ていた30年来の友人はこう呟きました。「あんな顔の(シン)淑玉(スゴ)を見たのは初めてだ」

5年前、沖縄県名護市で米軍基地反対運動の撮影中、偶然にも辛さんと出会うことになった私。そのご縁から取材を通じて素顔に触れてきましたが、この日の辛さんは、裁判に勝っているのに負けたように見えたのです。深い哀しみの表情で会見する辛さんの姿に、私は打ちのめされました。

内なる感情を持て余すほど強く揺さぶられると、人は表現できなくなることがあります。活字にするということは、頭の中で取捨選択して内容を整理し、記録する試みです。この日からノートになぐり書きしたメモを睨みつけて毎晩、私は自宅のパソコンに向かいました。けれど、胸がただ苦しくなっていっこうに前へ進みません。

「これは、記録する闘いです」。辛さんは会見で述べました。耳の奥で何度もこだまするその言葉。大きな葛藤があるからこそ記録しなくては、辛さんが伝えたかった本意のように思えます。逃げないで、直視して、自分なりに。私にはこんなふうにも聞こえてきます。

9月1日のあの日、在日コリアン3世の辛淑玉さん(62)は東京地裁の法廷で、『ニュース女子』沖縄基地特集(2017年1月2日地上波TOKYO MXで放送、制作会社DHCテレビジョン)をめぐり、そのDHCテレビと司会役のジャーナリストを相手どり損害賠償を求めた訴訟の判決に耳を傾けていました。DHCテレビは大手化粧品メーカー傘下の制作会社。「ニュース女子」の他「虎ノ門ニュース」をネット配信しています。「似非日本人は母国に帰れ」「チョントリー」などの民族的差別発言で問題となった会長が君臨する企業です。

 「主文 被告DHCテレビは550万円を支払え…」

提訴から4年、辛さんは勝訴しました。けれど表情は硬いまま。DHCテレビに対し、判決は謝罪文の掲載も命じました。その期限は名誉棄損に当たる動画をネット内にアップし続けている限り。被告に厳しい内容ですが、法廷で前を向く辛さんに喜びの表情はありません。

9月1日は98年前、流言飛語のせいで何の罪もない多くの朝鮮人が官憲や自警団らによって虐殺された関東大震災の発生日。奇しくも判決の日が歴史的につらい記憶の日と重なり、在日韓国人の辛さんをよけいに苦しめたようでした。

辛淑玉さんのルーツと家族

辛さんの祖母は、日本統治下の朝鮮半島から14歳で内地と呼ばれた本土へ渡り、紡績工場で昼夜を問わず働きました。22歳で関東大震災を経験、その記憶が晩年も生々しかったのでしょう。子どもだった辛さんが夜を一緒に過ごすと、寝ていた祖母が急に鍋釜を持って家の中を徘徊し、どうしたの?と聞くと怯えて「日本人が押しかけてくる」と語ったそうです。

祖母と暮らした家は、東京都渋谷区笹塚にまだあります。番組の取材で私は、その家の前で辛さんに幼少期からのご家族の様子について聞きました。古びてみえる2階の窓を指さしながらカメラを前に涙ぐみながら語る辛さん。とても貧しく身を寄せ合って暮らした家族。2歳年下の弟は、公園の草を食べ飢えをしのいだといいます。戦後生まれの辛さんがモデルの仕事を皮切りに稼げることならなんでも引き受けたという様々な仕事体験から、一昨年、弟と死に分かれた日のことまで、人生を包み隠さず語ってくれました。

その人生の一部を描いた『映像‘20 わたしと弟』は、2020年3月に制作、放送したドキュメンタリー番組です。判決の日、そのシーンが次々と瞼の裏に蘇ってきたのです。

DHCテレビが制作した『ニュース女子』沖縄基地特集の内容を簡単に触れておきます。(2018年1月11日付「オキロン」の拙稿で詳述)沖縄の東村高江で米軍基地反対運動をする人たちを「救急車まで止める」「テロリスト」のような「暴力集団」と決めつけ、その犯罪集団の黒幕が市民団体「のりこえねっと」共同代表の辛さんであると名指しします。救急車の走行を基地反対派が止めたというのは完全なデマです。それこそ流言飛語の類です。しかし、あいつが「黒幕」だと出演者らが寄ってたかって「犬笛」を吹いたのです。地上波がネットデマを垂れ流すという戦後の放送史に汚点として刻まれる出来事でした。

会見で辛さんは、勝訴を聞いた瞬間の心境をこう語りました。

「判決がでたとき、沖縄のことが頭に浮かびました。突破口を開いたと思う。本来問われるべきはこの(番組の)悪質性です。門戸は開いたつもりだけれど、一人だけ救助された感じ。画期的判決と思います」

『ニュース女子』についてずっと辛さんは「在日の自分を使って、沖縄を愚弄した」と批判しています。沖縄の基地反対運動を嘲笑して貶めるために、在日韓国人の自分が利用されたことにやるせなさを抱えてきました。

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