雷雨のなかで、東京高裁へ
東京高等裁判所を目指し、昼過ぎに東京駅に降り立った私は、暗い雲に覆われた空と鳴り響く雷に動揺しました。見慣れた風景がどこか異空間に見えてきて、これから聞くことになる判決は大丈夫だろうかと不安に襲われます。
2022年6月3日、判決を迎えたその裁判は、在日コリアン3世で市民団体「のりこえねっと」の共同代表を務める辛淑玉さんが「メディア」を相手に訴えたものです。もう5年前になる17年1月、地上波テレビTOKYO MXが放送したバラエティー番組『ニュース女子』沖縄基地問題特集(以下、『ニュース女子』)は、放送史に残る“汚点”と言うべき番組内容でした。放送倫理・番組向上機構(BPO)が重大な放送倫理違反があったと認定し、その後打ち切られています。しかし、その非を全く認めない制作会社DHCテレビジョンと司会役の東京新聞の元論説副主幹 長谷川幸洋氏に対し、辛さんが名誉を傷つけられたと損害賠償を求めていました。1審は、DHCテレビに対し、550万円を支払えと命じる辛さん側の勝訴。長谷川氏への訴えは棄却。その後、双方が控訴、1審判決が維持されるのか、見直されるのか。司法に失望することが多くなっていた私には、雷鳴が不吉な予感に感じられたのです。
裁判長が丁寧に判決要旨を読み上げる
東京高裁の8階にある法廷に着席すると、目の前にジャーナリストの安田浩一さんが座っていました。私を見るなり囁きます。「ケント・ギルバートが裁判所前に来ている。虎ノ門ニュースでまたやるみたいですよ」。聞くなり、ため息がでました。1審判決時、『真相深入り!虎ノ門ニュース』(DHCテレビ配信)の須田慎一郎氏が裁判所前に陣取り、DHCテレビが敗訴したのに「まあまあ勝訴」と垂れ幕を掲げる山田晃社長と一緒に事実に反するアピールをした場面が浮かびました。また、恥ずかしげもなく同じことをケント氏とやるのか!想像して胸が悪くなったのです。
その山田社長は、この法廷にいるのだろうか。被告席に目をやりますがマスクをしているためはっきりしません。いっぽう、辛さんは白いスーツ姿で背筋を伸ばし、裁判長席を真っ直ぐに見つめて、判決言い渡しのその瞬間を持っていました。
渡部勇次裁判長が読み上げた控訴審判決は「主文、本件いずれも棄却する」、すなわち一審を支持するものでした。辛さん側の勝訴です。判決の理由となる要旨を丁寧に述べ、「真実相当性は認められない」「(辛さんの)社会的評価を著しく低下させた」「今も(番組動画の)閲覧可能で慰謝料も相当」という言葉を耳にしたとき、私の心の雷雲は晴れてゆきました。判決は後退することなく、前進したのです。
弁護士が着目した事実の摘示
控訴審の判決文は、たいてい難解です。ところが今回の判決は『ニュース女子』がいかに事実に反した「事実」(ややこしいのですが、これを摘示事実と裁判所は言います)を報じたのかが簡潔にまとめられていました。「原判決を次のとおり改める」と書かれたあと、以下のように続きます。
本件番組は、高江のヘリパッド建設現場において、建設阻止のために公道の通行を妨害するほか、警察官や防衛局職員の身体に殊更に危険性の高い暴力や犯罪行為を加えるような過激な反対運動が行われており、地元住民や記者も襲撃を危惧して近づけない状況であるとの事実を摘示した上、一審原告(辛さん)がそのような暴力や犯罪行為を含む過激な反対運動に関し、「のりこえねっと」を通じて豊富な資金力を背景にして地元の沖縄以外から参加者を組織的に雇って動員し、これを煽動しているとの事実を摘示するものであると認めることができる
辛さんが市民集会で呼び掛けた基地反対運動に関する発言は、「本件各番組の摘示する暴力や犯罪行為とは異質のもの」「反対運動を煽動しているとは認められない」「真実性が証明されているとは認め難い」、つまりは真実とは言えないと至極真っ当な結論を導きだして明記しました。
さらに注目すべきは、「在日朝鮮人である一審原告の出自に着目した誹謗中傷を招きかねない構成になっている」と書き加えました。数行の記述ですが、これは大きな意味を持ちます。原判決ではスルーされていた民族差別について慎重な表現とはいえきちんと言及したのです。