記録する闘い~『ニュース女子』高裁判決が浮き彫りにしたもの

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映画「教育と愛国」の公開とウクライナ侵攻

2022年2月24日、ロシア政府軍がウクライナへ侵攻、子どもを含む無辜の民が命を奪われる侵略戦争が勃発しました。戦争が始まった同日、奇しくもMBSドキュメンタリー映画『教育と愛国』の劇場公開の情報が流れたのには戦慄を覚えました。5月13日から全国各地で上映が続いている本作は、私が初めて監督した作品です。教育現場への政治介入を描いて、歴史教科書が政府の意向で書き換えられていく深刻な実態を明らかにしています。戦争の加害と被害の歴史を子どもたちにどう伝えてゆくか、それは本作の大きなテーマです。

 この映画が沖縄県那覇市の桜坂劇場で上映された日、『ニュース女子』裁判の傍聴を続けていた泰真実さんが見に来てくれました。最前列に席を確保し、上映後の舞台挨拶で私に続いて映画に出演する平井美津子さんのスピーチを聞いた泰さんは激しく心を揺さぶられます。

 平井さんは、大阪府内の公立中学校で社会科を教える先生です。生徒たちから美津子と親しみを込めて呼ばれる平井さん。「美津子は戦争好きなん?」と聞いてくる子がいるそうですが、それは平井さんが戦争に関する授業になると気合が入って熱く語るからとのこと。その平井さんは、日本軍の加害の歴史を被害と同等に語ります。沖縄戦で日本軍が住民を死に追いやった集団強制死、軍慰安所で働かされて性暴力を浴び続けた慰安婦の女性たちの訴え。その授業実践は教育現場で高く評価されていました。その実践が好意的に紹介された新聞記事に対し、「史実に反する」などと吉村洋文大阪市長(当時)がツイッター上で批判したことが呼び水になり激烈なバッシングに晒された事を映画で取り上げました。しかし苦境の中でも圧力に屈せず踏ん張る平井さんの場面に心打たれた泰さんは、「戦争を二度と起こさないために教え、学んでいる」と語った平井さんの姿に涙が止まらなくなったのでした。

民族差別や憎悪は、戦争の芽につながる。だからこそ

戦争は差別とは切っても切れない関係にあります。他者や他民族を差別すればたやすくその人権を踏みにじることができるのです。戦争へ扇動しやすい社会の土壌が作られます。辛さんが自らの体験から語る痛烈な言葉を私は何度も耳にしています。高裁判決の後の会見でも述べていました。

「差別は楽しいものなんです。お金がかからない快楽なんです」。

出版不況とともに台頭したヘイト本、ヘイトビジネスが当たり前に流通するこの社会で、快楽にすがる人びとが全てのメディアにあふれ出ていると言えば、言い過ぎでしょうか。私は差別の流通に群がる人びとが減っていない、今後も増える恐れがあると懸念します。辛さんが「とりこぼしている」と危惧する沖縄ヘイトについては、この傾向が顕著になるかもしれないと恐れます。

それはなぜか。歴史学者の藤原辰史さんが「中学生から知りたいウクライナのこと」(ミシマ社、小山哲さんと共著)のなかで語っていることが重要だと思います。

著書には開戦から2日後に公表された「ロシアによるウクライナ侵略を非難し、ウクライナの人びとに連帯する声明(自由と平和のための京大有志の会)」が記載されています。侵略戦争そのものを爆弾が落とされる側の視点で「非難する」ことばが続くのですが、そのひとつは次の通りです。

「サイバー空間で偽りの情報を流し、自国の政治的主張と軍事的都合に合わせて言論を操作し、歴史を悪用して、世界中の人びとの認識を歪めようとしていることを、非難します」

素直に読み解けばNATO陣営の報道をフェイクと断じるロシア政府に対する非難でしょうが、この段落にロシアとは書いていません。藤原さんはこうも述べます。

「私は南西諸島を、ロシアとNATOのはざまに存在するウクライナなどの中東欧の国々の問題と重ね合わせて国際情勢を見るようにしています」。

言うなれば、歴史認識の違いや政治的対立が慄然とあり、情報戦の主戦場となる世界があちこちに広がっているのです。ロシアやウクライナだけの問題ではありません。

現在、世界中で剥き出しの暴力や武力が勢いづいています。冷静に考えなければいけない事柄なのに、日米共同計画を踏まえて台湾に中国が攻めてきたとき沖縄の南西諸島にかけての地域が戦場になる、と政治家や一部メディアは口々に言います。核共有という物騒な議論も起きています。沖縄本島の人びと、さらには離島の人びとは切実です。米軍基地や自衛隊基地が「標的」にされることが前提になり、基地が自分たちを守るどころか戦火を呼び寄せる危険な場所であることを理解しているのです。万が一の時に歯止めをかける力になるんじゃないかと生徒たちに負の歴史を教え続ける平井先生に共鳴し大粒の涙を流した泰さんも戦争を身近に感じるからこそです。

私が桜坂劇場を訪ねた日、色鮮やかな紫陽花のスタンド花が飾られていました。映画『ちむぐりさ 菜の花の沖縄日記』の監督で沖縄テレビのアナウンサー平良いずみさんが贈ってくださったのです。映画『教育と愛国』は満席御礼になりました。沖縄戦は、うりずんの雨(春から初夏に入る季節の雨)とともに語られることが多く、日本復帰から50年経過した現在も全体の7割に及ぶ米軍基地を抱える沖縄の切なさを紫陽花は語りたがっているようでした。

 その紫陽花がつよく印象に残り、小さな紫陽花の鉢を買って辛さんの会見場に持っていきました。会見を終えて舞台そでに下がった辛さんに紫陽花を手渡し、「お疲れさまでした。台所にでも飾ったあと庭に植えてくださいね」と伝えました。すると辛さんから「ああ、雨に濡れても大丈夫だね」と笑顔が返ってきました。

 法廷で辛さんは何を思っていたのかー。「裁判官を見つめていたのは、自分の試練だと思ったからです。私が私らしく生きたいと思ったときに日本社会で受けなければいけない試練だと思いました。目をそらしてはいけないし、耳をそらしてはいけない。DHCには負けなかった。だけど、また私の手から沖縄がこぼれ落ちたと思いました。その人生をかけて戦争はいやだって声をあげている人たちを(『ニュース女子』は)笑いながら叩いたんです」

もうすぐ沖縄慰霊の日、6月23日がやってきます。辛さんは裁判を「記録する闘い」だと語っていました。決して忘れてはいけない「戦争の記憶と記録」。差別を認めたがらない人びとは、過去の歴史に目を閉ざし、冷笑して現体制におもねり、憎悪をばらまいています。私は戦争に繋がる差別を快楽とする言説に対して静かに拒否する態度を示し続けたいと思います。平和を希求したいひとりであるから。たとえ、激しく雨に濡れたとしても。

(DHCテレビは高裁判決を不服として最高裁へ上告、長谷川幸洋氏も辛さんから名誉を傷つけられたとする反訴の棄却を不服として上告。いずれも6月17日付)

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