竹富島の種子取祭での「東京音頭」
19世紀末から20世紀前半、琉球列島は帝国権力がせめぎ合う空間だった。『沖縄の植民地的近代』で松田ヒロ子は戦前、沖縄から台湾にわたった人たちがいかに「日本人」になり、「沖縄人」であることと葛藤したのかを論じている。
近代の沖縄は、対日本の関係において差別や偏見、経済格差といった物差しで語られることが多い。だが、内実はもっと多面的だ。とりわけ南西端に位置する八重山地域の人々は、境界の有利性を生かして日本の植民地だった台湾で都市生活に触れ、教育や職業のキャリアも積んだ。
松田は戦後の一時期、引揚げ者が台北で覚えた「東京音頭」を竹富島の種子取祭で披露した事実も紹介している。私はこの祭祀を取材したことがある。舞台は八重山文化の神髄のような空間だ。目眩がしそうなこのエピソードは、人々の精神性と「境界」の位相を考える上で興味深い。
『台湾、あるいは孤立無援の島の思想』で呉叡人は「東アジアの地政学の牢獄に閉じ込められた台湾と琉球」について論じる中で、「内部植民地として日本に直接支配されている琉球」と「半独立状態の台湾」が連帯する困難さを説く。なぜなら、台湾は米日台の軍事同盟の力を借りて中国を抑止する必要があるため、米軍の沖縄駐留に反対するのは難しいからだ。
一方、沖縄が植民地的状態から抜け出すには日米同盟を揺さぶる難しさに加え、「道徳的難題」にも直面するという。米軍が沖縄から撤退した場合、移転先となるグアム島の先住民族チャモロの負担増を招く可能性が見通せるからだ。
紛争リスクの最前線におかれる台湾と沖縄。きな臭さが増すにつれ、「敵」と「味方」を単純に色分けする傾向が社会を覆う。利害や固定観念に縛られ、情報に踊らされる「チョボチョボ」の私たち。そこには「正義」も「悪」もない。
【本稿は2021年12月26日付毎日新聞記事を転載しました】