ドキュメンタリー映画「教育と愛国」に込めた思い~斉加尚代さんインタビュー

この記事の執筆者

教育の普遍的価値

映画は、沖縄戦の実相を伝える授業実践に対するバッシングも取り上げている。斉加さんはこう振り返る。

「ドキュメンタリー番組『バッシング』(18年12月放送)を取材していたとき、まさにその渦中にある人物のひとりが平井美津子さんでした。大阪府内の公立中学校に勤務するベテラン社会科教師の平井さんは、慰安婦をはじめ戦争に関する授業実践が高く評価されて好意的に取り上げる記事が地方紙に掲載されました。ところが、吉村洋文大阪市長(当時)がツイッターで『史実に反する』などと不当に槍玉にあげ、ネット上で『偏向教育』と誹謗中傷を浴び、学校にまで脅迫状が届いて平井さん自身が窮地に陥っていく様子をそばで取材していました。政治家の『犬笛』に呼応するかのような『炎上』に対し、勤務校も教育委員会も教師を守る姿勢が十分でなかったのです。その異様さを報道したいと考えましたが、当時は出来ませんでした。平井さんへの嫌がらせが強まると危惧したのです。政治圧力が直接的に学校現場に悪影響を与えた深刻なケースだったのに、私は伝えることができなったという悔いとわだかまりがずっと消えませんでした。平井さんは休みごとに沖縄や広島に通い続ける本当に熱心な先生です。今回の映画を製作するにあたって、平井さんにあらためて撮影取材をお願いしました。私は『もし嫌がらせがまた来たら』と躊躇する気持ちもありながらでしたが、平井さんは『記録に残すために協力したい』と言ってくれました。リスクも承知のうえで取材に応じてくださったことに感謝しかありません」




那覇市の桜坂劇場で舞台あいさつする平井美津子さん(右)と斉加尚代さん(撮影 木村元彦)

斉加さんはさらにこう話す。

「テレビ版『教育と愛国~教科書でいま何が起きているのか』(2017年7月)は、戦後73年ぶりに復活することになった小学校道徳の教科書検定で起きた、パン屋さんの場面が和菓子屋さんに書き換えられるという滑稽な出来事から企画を思いついたのです。『国や郷土を愛する態度に照らして不適切』という検定意見でパンが消えるという事態は、2006年度の高校日本史の教科書検定で沖縄戦の集団自決(強制集団死)から軍関与の記述が消されていった過去の出来事と繋がっているとピンときたのです。2006年は第一次安倍政権で教育基本法が見直され、愛国心条項が盛り込まれた年です。『愛国』によって教科書記述が消されてゆく怖さとおかしさは、現在の教育行政を象徴しているものだと感じました。沖縄県民はいまも2006年当時の検定意見の撤回を文科省に求めています。政府の意向によって教科書の中の沖縄戦が歪められた事実を忘れないぞという姿勢に見えます。学校や教員が国家権力(政府)の代弁者になったとき、子どもたちがどんな目に合うか、沖縄の人たちはその戦争体験から身に染みて感じているのではないかと思います。渡嘉敷島の吉川嘉勝さんは、『生きるべきだ』と無学の母が叫んで集団強制死の現場を逃れることができたと語ります。当時の学校は『お国のために死ぬべきだ』と教えていたのです。戦後になって、『学校に行かせたから息子は殺された』と嘆く親も少なくなかったと聞きました。教育は諸刃の剣です。沖縄の新聞社が教科書問題をずっと一面に構えて報じるのも沖縄戦の教訓があるからです。日本中のメディアが教育と政治の関係にもっと高い関心を持つべきだし、そうしないと子どもを守れない、そんな危うい時代なのだと私は思っています」

 くしくも、映画の公開決定をリリースした2月24日にロシアのウクライナ侵攻が始まった。「愛国」はロシアにもウクライナにも共通するキーワードだ。斉加さんは言う。

「自分の国を愛することは自然で、故郷が好きという気持ちは否定されるものではありません。しかし、いったん権力者によって『愛国』が語られ始めると、排外主義に結びつき、国と国の敵対関係を生み出しかねない『負のマグマ』があることに留意する必要があります」

 斉加さんは映画を通じて、左右の対立や、特定の政党を批判したいのではなく、教育の普遍的価値を問うている。

「特定の政治勢力の拡大のために教育が利用されるのは非常に危ないことです。教育はイデオロギーによって左右されるものではなく、普遍的価値に基づいて独立が担保されなければならない。この普遍的価値を手放した先に何が待っているのか、映画を通じて考えていただきたいというのが私の最も伝えたいことです」

【本稿は2022年5月12日のアエラドット原稿を加筆しました】

<斉加尚代さんプロフィール>

さいか・ひさよ/毎日放送報道情報局ディレクター。1987 年毎日放送入社。報道記者などを経て 2015 年からドキュメンタリー担当ディレクター。企画、担当した『映像’15 なぜペンをとるのか~沖縄の新聞記者たち』(2015 年 9 月) で第 59 回日本ジャーナリスト会議(JCJ)賞、『映像’17 沖縄 さまよう木霊~基地反対運動の素 顔』(2017 年 1 月)で平成 29 年民間放送連盟賞テレビ報道部門優秀賞など。『映像’17 教育と愛国~教科書でいま何が起きて いるのか』(2017 年 7 月)で第 55 回ギャラクシー賞テレビ部門大賞など。『映像’18 バッシング~その発信源の背後に何が』で第 39 回「地方の時代」映像祭優 秀賞など。著書に『教育と愛国~誰が教室を窒息さ せるのか』(岩波書店)、近著に『何が記者を殺すのか 大阪発ドキュメンタリーの現場から』(集英社新書)

この記事の執筆者