「そこに人々が生活しているという理解があるのか」 沖縄の歴代知事が保革を越えて訴えてきたこと

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どの知事も「割り切るか」「割り切れないか」で葛藤

――「保守」と「革新」の二項対立的な見方への違和感がある、と書かれています。大田昌秀知事の政敵だった翁長雄志知事が結局、「辺野古反対」で重なったり、「革新」の大田県政の副知事だった仲井眞弘多氏が「保守」の知事になったり。「沖縄の保守・革新」についてどのように捉えておられますか。

野添 一般に基地に賛成で経済振興を重視するのが「保守」、基地に反対で平和や人権を重視するのが「革新」と言われ、それぞれの陣営同士で対立してきたのが沖縄政治であるのは事実です。しかし、保守であれ革新であれ、知事になった人物は県民全体の代表として、そうした保革対立を越えて対応する必要があります。別の言い方になりますが、玉城デニー知事は、沖縄の基地問題について「割り切ろうと思えば割り切れるが、しかし割り切れなさが残る」と私にインタビューで話しました。「割り切る」のが保守、「割り切れない」のが革新、というようにも言えると思いますが、とはいえ、どの知事も「割り切るか」「割り切れないか」で葛藤してきたことは同じであると思います。「保守」で基地に賛成であっても基地問題によって県民生活がおびやかされていることに対応しなければならないことも「現実」であり「割り切れなさ」はどこかで残るし、「革新」で基地に反対であっても、ときに日本政府と協調し「落としどころ」を探って当面は妥協的に問題解決に取り組まなければならないのも「現実」でありどこかで「割り切る」ことが求められます。程度の差は確かにありますが、本書では、保革を超えて共通する葛藤や苦悩に注目しました。

保革対立という軸に過度に注目して沖縄政治を見るとこうした「現実」を見過ごすことになり、また、(特に日本本土側の)都合の良い単純な見方をしてしまいます(保守知事になったから基地問題は解決した、革新知事だから沖縄県民は平和を愛し基地撤去を求めているなど)。なお、こうした保革を超えた沖縄の苦悩という点で沖縄の政治勢力を結集しようとしたのが、翁長雄志知事の「オール沖縄」だったと思います。ただ、その試みがどうであれ、仮に今後保守系の知事が生まれてもこうした葛藤には直面すると思います。

――沖縄県知事と他の都道府県知事との違いは、「基地政策」に忙殺されることだ、と指摘されています。これは、沖縄は他の地域よりも、国益と県益が重ならないことが多いからでしょうか。

野添 国益と県益が重ならないことがあること自体は、どの都道府県にもあると思いますが、沖縄県の場合は、在日米軍基地の専用施設の約7割が集中しているという、安全保障面での過重で不公平な負担を担っています。米軍基地の存在による安全保障というメリットに対して、過重な基地負担による県民生活への影響(事件、事故、騒音、環境破壊、さらには土地使用も)というデメリットがあまりにも大きいといえます。その結果、むしろ国益によって県益が犠牲にされている側面が大きいと思います。

 こうした中で、沖縄県知事には、基地の過重負担という日米安保の構造的な問題によって多くの県民の生活が脅かされる中、保革どの立場であっても、県民の生活を守るべく、沖縄県の代表として、日本政府や米国政府にときに厳しく対峙することが求められます。そして、安全保障の負担が沖縄という地域に押し付けられていることに対する異議申し立てをしていくことが、沖縄だけでなく日本の民主主義のためにも必要だと思います。

 また、沖縄はこれまで日本本土とは異なる激動の歴史を担ってきました。そして現在の基地問題を抱えています。こうした中で、沖縄県知事には、このような歴史を背負い、現在の基地問題や貧困問題など深刻な問題を解決していく姿勢が求められていると思います。保守、革新といった陣営の代表ではなく、歴史を背負った沖縄県民全体の代表としての姿勢、覚悟が求められています。

――米軍基地問題の解決に向けて知事として初めて訪米活動を行った知事は1978年から3期務めた保守の西銘順治知事で、そのときに初めて普天間飛行場の返還を米国側に求めたという事実は興味深く受け止めました。

野添 西銘は、保守知事でありながら、基地問題解決にある程度動いたと思います。第一に、基地に対する県民世論の強い反発を受けて動かざるを得ませんでした。第二に、経済発展のためには基地は阻害要因だと考えていました。第三に、冷戦終結が近づく中、基地縮小の可能性を見ていたと思います。

 こうした中で、特に那覇軍港について、1974年に返還合意されたにもかかわらず、県内移設が条件のため返還実現していないことに対して西銘はいら立っていました。沖縄は、土地が狭く、県民世論の反対が強く、県内移設はできないと主張しましたが、それは普天間基地問題にも共通する問題だと思います。

――「保守のドン」の西銘知事が三選直後、「俺は国政に戻って、防衛庁長官になりたい」と漏らしたエピソードも印象的です。

野添 西銘は、知事になる前には大臣就任間近であったこともあり、国会議員としてバリバリやってきた自信があったのだと思います。また、外務省出身で、米国統治時代には琉球政府幹部や那覇市長として米国側とやりあってきた自信もあったと思います。そうした中で、沖縄のために尽くしたいという気持ちが強い一方で、沖縄の問題を解決するためには沖縄県知事では力が弱く、結局は日本政府を動かさなければならないという矛盾を強く感じていたのではないでしょうか。

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