ヤンキーの「パシリ」になった社会学者【下】

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沖縄のヤンキーの「パシリ」となり、彼らと日常的に「つるんで」、酒を飲み交わしながら、共に過ごしてきた気鋭の社会学者がいる。打越正行さんだ。打越さんは2019年3月、彼らとの10年をつづった著書「ヤンキーと地元」(筑摩書房)を刊行した。彼らが、沖縄という地でどのように生きてきたのか、生きようとしているのかを描いている。【上】では、打越さんがヤンキーの若者を調査した経緯を中心に、【下】では、彼らの過酷な労働と暴力に焦点を当てて聞いた。

暴力を振るう理由

 本書には、暴力の描写がちりばめられている。打越さんと共に型枠解体屋の沖組で働いていたよしきは、本土復帰前に生まれた40代の従業員。元暴力団員で、父親も暴力団だった。10代のころから暴力トラブルも多く、傷害で実刑判決も受けている。彼は、職場でも後輩を殴る先輩だ。しかしながら、打越さんは、彼がなぜ暴力を振るうのか、拳に何の意味を込めたのかを本書であぶり出している。

 「建設業は将来展望を持ちづらい仕事なんです。仕事はきつくて、過酷で、給料が安い。そういう状況が30代になっても続きます。ステップアップできる仕事や給料や人生設計があれば、後輩がため口を聞いたとしても笑って過ごせると思うんですよ。いきのいい元気な若者がいるなと。でも、彼らは20代で、10代の後輩に給料も、地元の人間からの信頼度も、キャバ嬢からチヤホヤされる度合いも追いつかれ、抜かれてしまうんです。だから、追いつかれている現状を象徴的に表すものが後輩のため口で、それを先輩たちは許せず、俺とお前は違うんだぞという意味合いで、みんなの前で殴るといったことがありました」

地元で生きる意味

 過酷な労働の中で、ヤンキーの若者たちは暴力を受け、また暴力を振るいながら、懸命に生きている。縛られた先輩後輩の構図、顔を合わせるメンバーは職場も遊びも常に変わらない。地域社会も彼らには冷たい。しかし、暴力から逃げられる術はないのだろうか。 

 「みんな暴力から逃げて、それでも戻らざるを得ず、そこでしか生きられない諦めがあって、殴り合っても殴られてもそこで暮らしています。社会移動や階層移動がほとんどない世界です。キセツ(期間労働)にいく子も居ますが、やっぱり違うなという感じで沖縄に帰ってきます」

 「ヤンキーの若者が地元に戻るのは、まずそこに人間関係と仕事があるからです。彼らは家庭や学校、地域社会によらずに自らその場所をつくりあげ、たどり着きました。再び、なにもない状況に戻ることは考えられないことです。彼らが過ごす地元は過酷ですが、そこを出ると生活と仕事の形さえ定まらない世界があるんです

 「私たちは地元の外によりましな生活や仕事があると思っているから、なぜ逃げないのかという見方になりますが、彼らからすると、地元で過ごし、建築業で働いていて、生活ができている。でも、地元では『あいつどこいった? 刑務所? 内地に売られた? とんだ?』という、地元にいられなくなってしまった、音信不通の人が少なからずいるんです。そうならないように地元にとどまっているという意味があると思います。ここに居るのがまだましだと考え、よりましな生活を日々繰り返しているということになるかと思います」

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