沖縄の政治家の凄み
私はNHK記者時代に大田昌秀県政の沖縄を取材した。米兵による少女暴行事件が起きた時だ。苦悩の表情を浮かべる知事の姿しか記憶にない。総理官邸で時の橋本総理と対峙する日の朝、「立岩君、私は琉球を代表して会うんだよ」と言った時の苦渋の表情を今も覚えている。
翁長知事もそうだった。「沖縄の人を見くびったらいけませんよ」と本土に向かって言った時、それは沖縄の歴史を背負った政治家の信念から出た言葉だった。彼らの姿には、沖縄のある政治家の姿がだぶる。瀬長亀次郎。
瀬長は、アメリカ占領下の沖縄で米軍に立ち向かい、ウチナンチューの権利を訴えた。投獄され被選挙権を奪われても屈しない。国会議員になると、時の佐藤総理に沖縄の怒りをぶつけた。その生涯は上映中の映画「米軍が最も恐れた男 カメジロー 不屈の生涯」に詳しいが、沖縄の政治家は保守も革新も、どこかに瀬長の残像を残していたと思う。それはある意味、沖縄の政治家の凄みでもあった。
しかし玉城知事は、そういうものとは別の存在のようにも感じられる。「不屈」といった重苦しさが似合わない。では、玉城知事は、どう考えているのか? 壇上から降りてマスコミ各社の取材が終わったところで話を聞いた。
「もちろん、翁長さんの思いを受け継いでいますし、本土とは異なる沖縄の知事が持つ特殊な立場も理解しているつもりです。そのプレッシャーで押しつぶされそうになったこともあります」
いささか失礼な質問に真剣な表情で言葉を探す玉城知事。
「辺野古で頑張っているおじぃやおばぁが言うんですよ、『憎しみや怒りだけだと続かない』って。それは僕もそう思う。そこに感動があったり笑いがあったり、時に歌があって踊りがあって、そうやって、沖縄の思いをもって頑張り続ける。それは必ずしも僕のスタイルと意識しているわけではないけど、そう言われれば、僕のスタイルなのかもしれない」
そう口にした知事の目が凄みを帯びた。一瞬、そこに瀬長の残像を見た。その表情に明らかに「不屈」という2文字が読みとれた。ふと、知事の歌が頭をよぎった。stand by me……。ああ、と思った。これは沖縄とともに立ってほしいという知事のメッセージだったのだ。沖縄のリーダーに流れる思いは変わっていない。否、更に政府にとって厄介な存在になっている。
【本稿は日刊ゲンダイ連載「ファクトチェック・ニッポン!」(2019年9月10日付)を転載しました】
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