沖縄の“政治”を生きる若者の歩み

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元山仁士郎との出会い

 2018年の春、私は大学を卒業し那覇の実家に戻り、写真活動と琉球・沖縄史の勉強を続けた。小中学校の友人や、市場で働く人たち、飲み屋のおじさんたちから色々な話を聞いた。彼ら、彼女からは沖縄の戦後の歩みや、今の決して楽ではない経済の状況の中の、リアルな生活の営みを知ることができた。

名護市辺野古キャンプ・シュワブゲート前では、4月23日から28日まで6日間に及ぶ、辺野古新基地建設を阻止するべく集中行動が行われた。初日には主催者発表で市民700人が集まり、排除されても何度も座り込む姿は大きく報道された。私は、5日目の集中行動に参加した。

 「違法な工事はやめろ」「こんなことして恥ずかしくないのか!」という声のなか、無言で強制排除に耐える多くの市民たち。「立ってください!」「指は掴まない!ゆっくり動かす!」と20代くらいの機動隊員。その日3回の排除が行われた辺野古の現場で、沖縄の中で対立させられている県民同士の姿を目の当たりにした。日に焼けた顔をした同世代の機動隊員に、自分や友人の姿が重なった。彼らだって強制排除が好きで警察官になっていないはずだ。「同じ沖縄の中で、世代や地域間の分断はなくなってほしい」その思いを写真とともに綴った。この写真ルポがきっかけで「辺野古」県民投票の会代表の元山仁士郎と出会い、県民投票の活動に加わった。

県民投票を実現させるためには、いくつもの試練を乗り越えなけばならず、長い道のりだった。条例制定のための直接請求をするには、5月23日から7月23日の2ヶ月の間に、沖縄県の有権者の50分の1にあたる2万3千筆もの署名が必要。しかし、1ヶ月たっても集まった署名は5千筆ほどと、必要署名数には大きくかけ離れていた。そのことがメディアで報じられ危機感が広がり、翌日からはたくさんの方々から応援や協力をいただくようになる。県内のスーパーかねひで、市役所前や街頭での署名活動も行った。

 今まで家族間で基地問題について話さなかった中学の友人も受任者になり、両親、兄弟から署名をもらい、沖縄戦を体験した祖父母からは感心されたそうだ。市場の飲み屋で会ったおじさんは、「オスプレイは危ない、普天間飛行場は危険だ」との理由から、埋め立てについては賛成だった。私とは結論が違っていても、話していくうちに「沖縄が好き、未来のことは自分たちで決めたい」という共通の思いを知る。男性は、「俺は埋め立て賛成なんだけどなぁ」と言いながら署名してくれ、「シマー(泡盛)1杯おごるよ」と打ち解けることができた。

 この2ヶ月間、対話をし時には怒鳴られながらも埋め立て賛成の人や反対の人、地域や立場を超え、10万979筆と必要署名数の4倍を超える署名が集まった。最終的に、各市町村の審査を経て有効署名数9万2848筆が9月5日をもって本請求された。この県民投票を通して、10代や20代の若者が新たに基地問題に関心をもち、署名活動に関わった。

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