安倍政権を象徴する事象として、アベノミクス、集団的自衛権の容認、教育改革(道徳の教科化)、天皇代替わり(改元)などが挙げられるだろう。そして沖縄にとっては、辺野古新基地建設をめぐって、官邸vs.沖縄県政(翁長&デニー)のガチンコ対決があった。それぞれが大きな政治課題であり、1つずつ改めて検証されるべきであるが、これを通じて一貫して浮かび上がってくるのが、「情報コントロール」というキーワードだ。
時の為政者は批判されることを避けたがるものだし、メディアを煙たがるものではある。しかし安倍政権はとりわけ、政権との距離によってメディアを峻別し、批判的なメディアに対してはことさらに厳しい攻撃を仕掛けることに大きな特徴があった。国会で首相自らが特定新聞に対して口を極めて攻撃したり、党の勉強会で首相と意を同じくする議員や取り巻き文化人が、これまた題号を挙げて当該新聞を潰すべきと言及することは、決して普通のことではない。
いまや某国大統領が事あるごとに口にし、日本国内でもすっかり市民権を得た「フェークニュース」なる言葉がある。そしてまた、政権トップが自らへの批判を嘘(フェイク)と断ずることで、社会の中に対立を呼び起こし一方の差別を助長する構造は、先に挙げたようにむしろ日本の方が早くあらわれていたともいえる。しかもこのことは、沖縄の地においてより顕在化するかたちで表出し、県民を苦しめた8年間であった。
安倍政権絡みで沖縄(県民)にとっての最初の試練は、集団自決(強制集団死)を否定する教科書検定意見であっただろう。意見撤回をめぐる県民大会は第1次安倍政権が終わった直後の9月であったが、その発端は前年2006年末の教育基本法改正と、愛国心教育の復活・道徳の教科化、そして教科書検定基準変更に伴う南京虐殺、従軍慰安婦と並ぶターゲットとなった沖縄戦集団自決の日本軍関与を巡る記述の削除であった。
第1次安倍政権の退陣後も、09年2月には、沖縄県立博物館・美術館で写真展の一部展示が拒否される事件があったり、12年1月には沖縄防衛局長が市長選で特定候補に投票を促す講話を行うなどがあったほか、相変わらず在沖米軍により犯罪・不祥事が続いてはいたものの、次の大きな「事件」は安倍再登場後の13年1月、オスプレイ配備撤回の建白書提出であった(鳩山政権時代の辺野古移設を巡る様々な動きは続いたし、11年には本紙の沖縄防衛局長オフレコ懇談報道で議論が巻き起こったりはした)。
東京・銀座で行われたオスプレイの配備撤回などを求めた行進に際し、県内全首長に対し誹謗中傷の野次が飛んだわけだが、これはその後さらにエスカレートしていくことになる「沖縄ヘイト(差別)」が可視化された瞬間であった。そして軌を一にして3月には、政府が辺野古の公有水面埋め立てを申請、政府と沖縄県の全面対決が始まることになる(この年末に、仲井眞知事が埋め立て申請を承認)。
ちょうどこの時なされた発言が、小池百合子議員(現・東京都知事)の「闘っている相手は沖縄メディア」である(同議員は同じ年、沖縄選出議員に「日本語読めるの」とも発言)。もともと保守系政治家の一部には、沖縄に対する意識・無意識の差別感情が潜んでいるように思われる。それはたとえば、高江抗議活動に参加する県民に向けて「土人」発言をした機動隊員を、擁護するかの会見をした松井一郎知事(現・大阪市長、日本維新の会代表)にも共通する。