翌14年、実際に辺野古での埋め立てが始まると、記者を一時的に拘束するような取材妨害が発生するほか、同様なことは16年の高江ヘリパッド工事再開現場においても起こった。また直近では、ドローン規制法を改正し、米軍基地周辺の飛行を実質禁止(事前許可制)にすることで、直接的な基地取材に限らない、広範な県内取材の制約が生じる状況になっている。
また、この14年に起きた象徴的な事件が、2月の琉球新報記事に対する政府の抗議である。石垣自衛隊配備報道に際し、防衛省が新聞協会に抗議をしたものであるが、当該者であるならまだしも、報道団体に政府が文書で抗議を行うことは極めて異例で、強い報道圧力であり嫌がらせ行為であった。また教科書の採択についても、政府は直接的な権限行使に出、3月には竹富町教育委員会の採択した教科書に対し是正を要求するなどした。
このあと起きたことは、これら出来事の延長線上でのエスカレート事案である。15年6月には自民党文化芸術懇談会で参加議員や百田尚樹が、地元二紙をターゲットにした言論封殺発言をし、さらには沖縄に対する「神話」とも言うべき、普天間には人は住んでいなかった等の明らかな虚偽情報を、いまに至るまで流し続けている。それはとりわけネット上で、沖縄県政や沖縄県民に対して差別感を大きく増長させたと言えるし、沖縄メディアは「偏向している」との誤ったイメージを植え付けてきた。
その結果、何が残ったか。そもそも一貫して安倍晋三首相には、沖縄に対する関心や親しみが全く感じられなかったが、この8年間で沖縄に対するマイナスイメージを大きく増長させたといえるだろう。確かにこの間、本土でも新聞・テレビそしてネット上も含めて報道量・情報量は格段に増えた。しかし、必ずしも理解が深まったわけではなく、沖縄に対する強い反発心を芽生えさせもした。
しかも政府自身が、米軍基地問題について議論する余地すら与えず、沖縄への差別感が増大することに対し、時に積極的に、少なくとも消極的加担を続けたのは非常に不幸だった。「辺野古が唯一の選択肢」といったワンワードを強調することで、それ以外の選択肢は国の安全保障に反するものだとして、議論を封殺し、他の選択肢を与えないように情報をコントロールした。もちろんそれに呼応して、一部の地上波メディア(MXテレビ)や全国紙(産経新聞)までもが、まさに沖縄ヘイトといえる積極的な煽動を行うに至った事実は重い。そこでも、差別が「一般化」したともいえるからだ。
ただし一方では希望もある。それは間違いなく沖縄への関心は社会全体として高まった。絶対数としての理解者も、総体的なメディア全体での理解も進んだことは間違いない。政権誕生のころには、辺野古新基地建設に関し国家安全保障上やむなしが多数であったメディア姿勢は、「民意の尊重」に大きく転換した。県民の我慢・県の責任としていたメディアも「国の責任」に言及するようになった。そうした中で、唯一の選択肢ではなく「他の現実的可能性」に触れるメディアも少なくなくなった。さらには、埋め立てはもう後戻りできないから、少しずつ「即時中止」を訴える本土の主要メディアも増えてきている。
圧倒的な情報量と巧妙なメディア戦略に翻弄された日々ではあったが、それでも沖縄県民そして沖縄ジャーナリズムが意地を示し、社会を変えてきた8年間でもあったといえるだろう。
【本稿は9月5日付『琉球新報』記事を加筆の上、転載しました】