沖縄報道~戦争による断絶の歴史から考察する

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沖縄県石川市(現うるま市)の宮森小学校に米軍ジェット機が墜落し、多数の死傷者が出た1959年6月30日から60年が経つ。2019年のこの日、東京でそれを伝える番組や記事はごくわずかだったが、地元では様々な番組や新聞連載が組まれた。地元紙の社説はこう訴える――「60年前のこの事故は決して過ぎた出来事ではない。沖縄が日本に復帰してから今に至るまで米軍機の事故は相次ぎ、悲劇を生む構造は何も変わっていないからだ」(琉球新報)、「基地を巡る沖縄の現実は今なお、あまりにも理不尽だ」(沖縄タイムス)。まさにこの歴史の積み重ねこそが、沖縄県民の米軍基地に対する思いであることを理解して初めて、辺野古新基地建設への反対の意思を理解することができるのではなかろうか。

エスカレートする沖縄ヘイト

かつては「温度差」と呼ばれていた沖縄と本土の意識差は、その後「溝」となり、そして「対立」へとより深刻化してきた、との思いは多くの者が共有するところだろう。事象としては、2015年に自民党内勉強会で沖縄メディアを偏向報道と厳しく非難、16年には高江のヘリパット工事が強行される中、10月に機動隊員による抗議活動参加者に対する「土人」発言があった。

 続いて翌17年初頭の1月には、地上波民放番組「ニュース女子」(TOKYO MX)で沖縄県内の抗議活動を激しく揶揄・攻撃する放映があった。これらを通じ、とりわけ辺野古新基地建設をめぐって、いわば「政府の〈敵〉として認定」を受けた者に対する沖縄ヘイトが、大きな社会事象として認識されるに至った。

 こうしたヘイト状況はすでに、13年1月の沖縄県全自治体首長によるオスプレイ配備撤回などを求めた建白書提出のための「東京行動」の際に、路上で厳しい罵詈雑言が浴びせられたことで顕在化し、その後もネット上のオスプレイ被害の報告に対し、個人攻撃を含む誹謗中傷の書き込みが続くなどしていた。この延長線上に考えられるのが、18年名護市長選におけるネットを中心として流布された「デマ」ということになるだろう。

 政治的には、安倍政権が12年末に再登場し(第二次安倍内閣発足)、圧倒的な支持基盤に支えられ、「沖縄」問題についても一貫して強硬姿勢をとり続けていることがある。それは辺野古新基地をめぐるなりふり構わぬ強引な姿勢はもちろんのこと、たとえば、13年には竹富町教育委員会が選定した教科書に対し、文部科学省が是正命令を出したり、14年には琉球新報が報じた陸上自衛隊配備候補地の記事をめぐって、防衛省がわざわざ同社と日本新聞協会に抗議をしたこともその1つである。

 とりわけ翁長雄志知事の登場後は、まだ記憶に新しい通り、繰り返しての法廷闘争において、国の立場を巧妙に使い分けて正当性の立証を行うほか、徹底して対話を拒否し、高江や辺野古の工事を急ピッチで進め続けている。その過程では、反対派リーダーである山城博治沖縄平和運動センター議長の逮捕もあったし、辺野古埋立の賛否を問う県民投票に関しては、実施前から結果に左右されないと公言し、まるで「なかったこと」にするかのごとき動きが続いた。

 この間、県民の意思はほぼ一貫しているといってよかろう。安倍政権もしくは国政政党に対する一般的な支持率は、本土とそれほど大きな違いを見せない。たとえば、県内の比例代表・政党別得票数は地元紙調べで、直近の13年(参議院)、14年(衆議院)、16年(参)、17年(衆)のいずれも、自民党が25%前後、公明を加えて40%と圧倒している(伝統的に県内で強い社民に、旧民主系を合わせて25%程度)。そうした中、実際の投票行動の結果は、14年と18年の沖縄県知事選、14年と17年、19年(補選)の衆議院選挙、16年と19年の参議院選挙では、いずれも辺野古新基地建設に反対する「オール沖縄」(辺野古基地を造らせないオール沖縄会議)が支持する候補者もしくはこれらに近い革新系が勝ち続けている(例外が17年衆議院沖縄4区の自民)。そして19年の県民投票でも、何はともあれ数字の上で圧倒的な差で、「NO」の意思が示された。皮肉にもこうした状況によって、冒頭の「対立」構造がより明確化してきているともいえる。

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