沖縄報道~戦争による断絶の歴史から考察する

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無意識を意識する

政府の情報戦略の基本は、公文書の改竄・隠蔽・廃棄に代表されるような、徹底した「ステルス」作戦だ。いわば証拠を残さず、重要な事項ほどこっそり実行、追及については一切無視、対話にも応じないという姿勢である。首相は野党批判の常套句として、憲法審査会に野党が応じないことを持ち出すが、実際の国会における審議拒否は、臨時国会の開会要求を無視したことに始まり、予算委員会の開催拒否など、従来の国会運営の枠を超えるばかりか、違憲の疑いすら指摘される時代になっている。

 そしてこの状況は、沖縄問題についてもそっくりそのまま当てはまる。たとえば、焦眉の辺野古基地の基本データについても、ほとんど非公表が続くなど、はぐらかし(隠蔽)と印象操作(誤導)が蔓延しているからだ。官邸は「(普天間飛行場の)1日も早い危険性の除去」を繰り返すばかりで、決して「最低でも13年かかる」とは言わないし、軟弱地盤の対応を含めた事業予算も明らかにしないままである。そもそも「辺野古移設が唯一の選択肢」の根拠も具体的に示せてはいない。まさに、記者会見で「あなたに答える必要はない」と言う官房長官の姿勢そのものともいえるだろう。

 番組作り、報道の視点に歴史観が大切とよく言われる。それはもちろん、いかなる種類の番組にせよ共通の、聞く、調べる、考える、そして伝えるという基本動作の際の必須要素である。しかし、歴史を学ぶというのは抽象的なものではなく、目の前の事象が過去の何につながっているかといった、極めて具体的な日々の取材の結果である。

 沖縄でいえば、あまりに当たり前のことであるが、琉球時代に遡るまでもなく、沖縄戦であり米軍統治時代の出来事は、「いま」に直結することばかりだ。しかも、前述の通り政府が現在進行形の事実を正確に示さなければなおのこと、過去に遡って目の前の事象を理解することが必要となる。

 よく沖縄は複雑だといわれる。それゆえに一見、論理的な帰結とは矛盾して映ることもあるだろう。だからこそ沖縄を理解するには、県民の無意識をいかに意識するかが問われているのだと、いつも自戒しつつ沖縄に通う。

【本稿は『調査情報』550号(2019年9月1日発行)を転載しました】

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