「現代的レイシズム論」からみた石垣島の現状

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現代のレイシズムは、「人種なきレイシズム」と言われている。科学的に「人種」というものは否定され、人類はホモ・サピエンスという単一の種であることが確認されているからである。つまり、「人種は生物学的現象ではなく『社会的神話』」なのだ。

 レイシズムに詳しい一橋大学の梁英聖氏は著書「レイシズムとはなにか」(2020年:ちくま新書)において、「人種差別は国際条約等で禁止されており、その結果、人種を使わずに国籍や入管政策、制度や文化、ナショナリズムなどを使って、実際には人を差別するという、さまざまな高等戦術が編み出されるようになっている。」と述べる。つまり、現代のレイシズムとは「ありもしない人種を作り上げ人を殺す(死なせる)権力」なのだ。

 6月28日、石垣市議会最終日において、自治基本条例の「最高規範条項」、市民の権利として保障した「住民投票条項」を削除するという改正案が賛成多数で可決された。

 本来ならば、自治基本条例43条のとおり3月に行われた審議会の答申を受け、行政の首長として市長が改正案を作成、公開し、パブリックコメントとして市民に広く意見を求めた上で、最終的に市長がその責任をもって議会に提出すべきものである。

 それを一議員が議会に提案するという法的手続きを無視した暴挙がまかりとおるのが今の石垣市議会であることが、石垣出身者としてとてもイナムヌ(残念)である。

 自治基本条例は「まちの憲法」といわれるように、地方自治に関する最高規範として位置付けられる。逆にいえば、最高規範の位置付けを欠く場合、自治基本条例とはいえないのだ(「新設 市民参加〔改訂版〕」2013年第2版:公人社)。

今回の暴挙は、3月に審議会の答申にあった市民の定義から外国人を排除するという人種差別撤廃条約に違反し国際的な問題になるあからさまな改正はあきらめたが、一方で、自治に関する最高規範性及び住民投票条項を削除し、国の方針に異議を唱える人間は非国民・反日という種族として許されないというもので、現代的レイシズムと呼ぶべきものに変わりはない。

 6月16日、宮古や八重山の島々などの国境離島を、国土防衛のための「機能」とする「土地規制法」が数々の批判と懸念のなか国会で成立した。これも、対中戦略の名のもとに、第一列島線にある琉球列島を最前線として中国を封じ込める海洋限定戦争を前提とする「南西シフト」とセットで考えるべきである(なお、「尖閣」は南西シフトとは関係がない。)。

 これらは沖縄の島々は日本の安全保障のための「機能」だから、そこに住む人たちが不利な立場に置かれても仕方がないと、日本社会に広く浸透させることを推し進める。島々で生活する人びとを監視対象として、例え人権が侵害されたとしても、更には戦闘行為の末、住民に甚大な被害が生じても、それは日本「本土防衛」のためには仕方がなかったんだと、国民の意図や意識から分離させ、その責任を感じなくても済むことを可能にするレイシズムとして機能する。

 沖縄戦の教訓とは、「もう二度と本土防衛のための『捨石』とはならない」というものではないのだろうか。今再び、本土防衛のための「捨石」として沖縄の島々が運命づけられようとしている。これらは安全保障に関するイデオロギーの問題ではない。石垣島をはじめ沖縄が置かれた差別構造と向き合うべき問題なのである。

 民主主義がこうして後退していく。「ゆでガエル」にならないためにも、おかしいことにはおかしいと声をあげていきたい。
【本稿は、2021年7月3日、八重山毎日新聞に掲載されたものです】

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