2022年は、沖縄復帰50年ということもあり、報道等で「施政権返還」という用語が繰り返し聞かれた。玉城県政が作成した「平和で豊かな沖縄の実現に向けた新たな建議書」にも、「日本国の施政権から分離された」「米国の施政権下にあった」等の記載がある。
しかし、かつて「集団自決」と呼ばれていたものを、強制的自発性によるものであった本質を覆い隠すとして「集団強制死」と呼び直したように、米国支配の本質を覆い隠す「施政権」という用語は誤りであり、「日本国の『主権』から分離・譲渡され、米国の『統治権の下』にあった」と呼び直すことを主張したい。「施政権」→「統治権」という表現の変更は、沖縄が置かれた法的地位・本質的意味を考えるうえでとても重要である。
そもそも「施政権」とは、信託統治制度における司法・立法・行政の三権をいう。では、沖縄は信託統治制度の下にあったのだろうか。答えは否である。
信託統治制度は、第一次世界大戦後の委任統治制度を継承したもので、委任統治制度が実質的な植民地支配と異ならなかったことの反省を踏まえ、第二次世界大戦後、国連が国連憲章第12章の下で施政国と協定を結び、信託統治地域を監督するために設けられた。これが適用されたのは、①第一次世界大戦後に国際連盟によって委任統治のもとにおかれた地域、②第2次世界大戦の結果「敵国」から分離された地域、③その施政に責任を持つ国家によってこの制度のもとに自主的におかれた地域、である。その目標は、地域の政治的、経済的、社会的進歩を促進し、かつ自治または自決に向かってその発達を促進することであった。
サンフランシスコ講和条約三条は、「日本国は、北緯二九度以南の南西諸島(琉球諸島及び大東諸島を含む)、(中略)を合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下に置くこととする合衆国のいかなる提案にも同意する。このような提案が行われ且つ可決されるまで、合衆国は、領水を含むこれらの諸島の領域及び住民に対して、行政、立法及び司法上の権力の全部及び一部を行使する権利を有するものとする。」と定めている。
では、米国は沖縄を信託統治制度の下に置くことを提案するつもりだったのだろうか。これも答えは否である。古関彰一(憲法史)・豊下楢彦(外交史)らが喝破しているように[1]、米国は当時のソ連との冷戦という国際情勢からして、「排他的で戦略的な沖縄の支配」のために、沖縄を併合することも国連の監督下で信託統治を行うことも事実上不可能だと知っていた。だからこそ、米国は国際的には脱植民地化を装う一方で、憲法・安保等の一切の制約を受けずに沖縄を軍事利用するため、「信託統治がされるまで米国は沖縄を統治する」というサンフランシスコ講和条約3条というレトリックを生み出したのである。
つまり、「日本国の施政権から分離された」「米国の施政権下にあった」等の記述は、米国支配の本質を覆い隠すものであるといえるのだ。
[1] 古関彰一・豊下楢彦(2018『沖縄 憲法なき戦後 ) ―講和条約三条と日本の安全保障』みすず書房