「潜在主権」の意味と「巻き戻し」復帰論
「日本国の主権から分離され、米国の統治権の下にあった」沖縄は、はたして復帰によって主権が返還されたといえるのだろうか。復帰によって本質的に何が変わったといえるのだろうか。1951年9月の講和会議で米国代表のダレスは、日本は沖縄に「潜在主権」を有すると述べたが、これはどういうことであろうか。
主権とは、ポツダム宣言八項で「日本国の主権は、本州、北海道、九州及び四国並びに吾等の決定する諸小島に局限せらるべし」とあるように、包括的な支配権を示す①「統治権」であり、憲法前文三項で「自国の主権を維持し」とあるように、国家権力の②「最高独立性」(国家の独立性)をいう。そして憲法前文一項で「ここに主権が国民に存することを宣言し」とあるように、国政の③「最高決定権」を意味し、その権限が国民にある場合は、「国民主権」を意味する。
実際、沖縄に対する司法・立法・行政は全面的に米国の手に移ったのであり、「潜在主権」というのはいわゆる「期限の定めのない解除条件付きの主権の譲渡」にほかならない。そして「解除条件」の内容とは、1953年の奄美返還協定の際にダレスにより発表されたブルースカイ・ポリシーである。つまり「極東に一切の脅威と緊張がなくなるまで」、米国が「現在の権限および権利を引き続き行使する」という事実上無期限の沖縄支配宣言なのである。
米国による講和3条の「信託統治」というペンディング、講和会議での「潜在主権」概念への言及は、「脱植民地化」を装いながらも、沖縄を「恒久的基地」として獲得するためのレトリックでしかなかったのである。アフリカやアジアや中南米における経済的搾取のための植民地ではなく、ひたすら米国の軍事目的に資するだけの「軍事植民地」が沖縄であった。そして復帰というのは、住民対策、駐留費等のコストを日本に肩代わりさせながら、極東戦略における日本の一層積極的な姿勢を確保し、米国の基地機能は本質的に変わりなく保持するという「沖縄を返還しないための沖縄返還」というのが実態であったのである。
このような理解ができれば次のような議論の発展も可能となる。私は司法書士であるが、不動産登記の考え方で「巻き戻し抹消」というものがある。A⇒B⇒Cと所有権が移転したとして登記がなされたが、それが間違っていた場合、Aの権利を回復するためには、まず「B⇒C」への移転登記を抹消した上で、「A⇒B」移転登記を抹消するというものである。
当時の復帰・反復帰論など、そのどちらが正しかったのかという議論を否定するものではないが、当時沖縄の人びとが求めた復帰というのは、まず「日本⇒米国」という主権譲渡の抹消を求めた運動であったと考えてみてはどうだろうか。そして復帰50年を経てもなお、沖縄が置かれている現状を考えるとき、二段階目の「巻き戻し抹消」(日本⇒琉球・沖縄)を求めるべきか否かは、少なくとも沖縄の人びとが、今後自己決定していくべき問題であろう。
【本稿は8月16、17日付『琉球新報』より転載しました】