1 はじめに
本日6月23日は、20万人を超える人が亡くなった沖縄戦から76年となる「慰霊の日」である。凄惨な地上戦の爪痕や記憶と今なお向き合う沖縄は平和を願う静かな祈りに包まれる。
新型コロナウイルスによる緊急事態宣言が出ているなか、平和祈念公園で毎年行われる戦没者追悼式は、参列者を30人ほどにとどめるなど、規模が縮小されている。県内各地では、慰霊祭が相次いで中止になったほか、休校で平和学習を行うことができなくなるなどこれまでに増して戦争体験の継承が難しい状況となっている。
また、2019年2月、沖縄県による辺野古米軍基地建設のための埋立ての賛否を問う県民投票で、投票総数の7割以上が反対の意思を示したにもかかわらず、埋め立て工事が進んでいる。さらに、その土砂の調達先として、今も多くの戦没者の遺骨が眠るとみられる沖縄本島南部の土砂の使用を国が検討していることに対し、県内の市町村では遺骨を含む可能性のある土砂を使わないよう求める意見書が相次いで可決されている。
戦後76年、復帰49年という年月が流れた。しかし沖縄が置かれた状況は本質的には変わらないのではないか。今一度慰霊の日に「平和」の意味を問い直したい。
2 大城立裕のメッセージ
「戦後沖縄の巨星」といわれ、米軍統治下で小説「カクテル・パーティー」を出し、沖縄出身者として初の芥川賞を受賞した作家であり昨年95歳で亡くなった大城立裕。
大城は沖縄の伝統文化や歴史に根差した小説や戯曲、琉歌、組踊など幅広い分野で作品を数多く発表。戦後沖縄の文学活動をけん引した。
その大城が、復帰直後の1972年5月20日に発行された「内なる沖縄-その心と文化」(読売出版社)において、「民衆に根強い現実主義」と題して以下のことを述べている。
沖縄人の戦争体験のことがよくいわれる。「沖縄人は戦争体験があるから、反戦平和の思想が根づよい」というふうに、である。が、これがどの程度に正確な認識であるか、私は疑っている。たしかに百万の人口のうちのかなりの部分のひとが戦争を体験している。そして体験していないひともある程度は伝聞で経験をうけついでいる。体験者たちは今日もなお、戦争の話になると、恐怖の思い出を如実に表情にあらわして、「もう二度とあんな戦争はごめんだ」という。しかし、これがそのまま政治イデオロギーには結びつかない。はやい話が「戦争体験」即「反戦」「反基地」ということが正確であるならば、戦争体験者に自民党支持者はいないはずである。しかし、戦争を体験しながら自民党を支持しているひとたちは、「あんな戦争はごめんだから、安全保障体制を強化して戦争を抑止すべきだ」という。これが自己矛盾だということは短絡であろう。ゆずってこれが論破可能な破綻だらけの考え方であるにしても、そのような意識が民衆のなかにいくらもある、ということは重要なことであろう。少なくとも、「沖縄人は戦争体験があるから反戦平和の意識がたかい」といいきることは安易であるし、むしろ思想の弱い部分をいつまでも残しておくことになって、幻想にとどまる。(中略)
沖縄の保守にも革新にも、いま同じように要求されているのは、この民衆の現実主義への正確な認識とそれを尊重する意志とではあるまいか。
大城のこの指摘は、50年近くの時を経た現在においても、問題解決のための示唆を与えてくれる。
「あんな悲惨な戦争は二度とするべきではない」という戦争体験者においてすら、「だからこそ戦争につながる軍事力一切を否定すべきだ」という意見と、「安全保障体制を強化して戦争を抑止すべきだ」という二つの考え方があるということである。
そうだとすると、沖縄戦経験者の『あんな悲惨な戦争は二度とするべきではない」という平和への想いの背景にある理性的な基礎とは何であろうか。
それは、「戦争につながる軍事力一切を否定すべきだ」というものであろうか、それとも「安全保障体制により戦争を抑止すべきだ」というものであろうか。
私は、それは「沖縄が再び本土防衛のための捨石となることを拒否する」ことではないか、と考える。
日米安保条約や憲法9条についての意見に相違があるにしても、県民投票で7割以上が反対の意思を示した民意の正確な認識とそれを尊重する意志が、保守にも革新にも、いま求められている。
平和学習における戦争体験の継承というとき、戦争の悲惨さを訴えることはもちろん重要だが、あわせて大城が指摘した、安全保障における二つの考え方、この対立を乗り越える必要がある。そのためには、「平和」の概念を再定義していくことが必要である。