ペリーの琉球来航 日米決戦の予兆
神田が翻訳を手掛けたのは、八重山に関する記述があったことも理由の一つだろう。那覇で艦隊乗員が女性を暴行したことに怒った住民らが報復の末に死に追いやった「ボード事件」で、主犯は八重山に流刑。またペリー来航は、アジアを往来する米国船の燃料(石炭)確保も目的であり、遠征記には琉球で試掘したことが記されている。神田は、沖縄唯一の炭鉱として知られる西表島炭鉱を発見したのはペリー艦隊の技師だと指摘している(神田精輝『沖縄歴史物語』)。東シナ海に浮かぶ我が島が、世界史のうねりと連なることに深い思いを抱いたことは容易に想像がつく。
ペリーは出航前10カ月近くかけ綿密に日本・琉球について研究した。日本人の起源、政府の構成、宗教・文化、技術から自然生物まで幅広く文献を蒐集。測量士や植物学者、記録係らを同行させ、詳細な地図やスケッチ、サンプルを多数持ち帰った。それら膨大な資料を基に書かれた『ペルリ日本遠征記』は第一級の日本論・日本文化論ともいえる。琉球を最重要視していたことを示すように、約1200㌻中、琉球関連は全体の三分の一近い。琉球とロシア・フランス・英国などとの交渉記録も取りそろえ、列強の動向も注視している。幕府の出方次第では、琉球を武力占領する企図があった。『ペルリ日本遠征記』には、欧米列強が繰り広げた覇権争い、彼らの世界観(白人中心・植民地支配)が映りこんでいる。
翻訳書序文に神田はこう書いた。「今日、国際競争がますます激しくなっており、南洋諸島が我が委員統治地に入り、近くに米領グアム・フィリピンがあり、太平洋問題がやかましく論ぜられるようになった。軍事、通信および日米関係から見て、国防の第一線に立つべき琉球の地位は、今も昔も変わりないばかりか、ますますその重要さを増してきた。(翻訳書発刊が)、郷土史だけでなく、開国史の上から、ペルリ提督の琉球における動静が公になり、かつ日米関係につき幾分か開明することがあれば光栄に存じる」。当時、米国で排日移民法が成立するなど日米関係に暗雲が漂っていた。日本も南洋諸島を国連委任統治下に置くなど勢力圏を拡大。太平洋を挟んで対峙する両国間の緊張が高まるにつれ、ますます沖縄の地位が重要な意味を持つという、予言とも警告ともいえる文言だ。
一方で、神田は日米友好にも尽くしている。ペルリ提督来航80周年記念祭(1934年3月31日・那覇)開催に協力、上陸記念碑の除幕式には県知事や那覇市長、米国大使館関係者ら県内外の要人を招くなど大きな成果を収めた。
『沖縄日報』は「展けゆく歴史の曙 ペルリ艦隊来航記念号」と銘打った大特集を組んでいる(注3)。トップ記事「米国大使グルー閣下祝辞」では、大使の顏写真も掲載し、祝典に寄せた文面を報じている。「近衛文麿公 五月に渡米」という記事からは、貴族院議長・近衛文麿が日米親善を促すことへの期待感が伝わる。神田精輝の講演「日本の開国と沖縄の地位」は、記念祭を機に今一度、沖縄の世界的、歴史的使命を再認識し、其の将来に向かつて力強い歩みを運ばなければならない―と説く。
