沖縄の「ヤマト観」は変わるのか 当事者性をめぐるギャップ

この記事の執筆者

■おすすめ3点

■歌集KOZA(屋良健一郎、ながらみ書房)

沖縄を多様な角度で歌う屋良健一郎の第1歌集

■復帰50年の沖縄世論(熊本博之・田辺俊介編著、筑摩書房)

大規模世論調査から見た沖縄の県民意識の実態を解説

■メディアのなかの沖縄イメージ 文化創造の100年(三島わかな編、七月社)

メディアが切り取った沖縄イメージの100年を追う


台湾有事は「存立危機事態になりうる」という高市早苗首相の国会答弁。外交の「戦略的あいまい性」からの逸脱との批判も出るが、内閣支持率は高水準を保ち、中国の威圧的態度はむしろ日本人を「嫌中」で結束させている。

台湾の人たちの自由や尊厳を守るのは無論大事だが、日本政府には「国民」である沖縄の人たちの生命・財産を守る責務がある。台湾も沖縄も国益の犠牲にしてはならない。であれば、台湾有事を起こさせない。これしかない。

沖縄でも日米の軍事プレゼンスが抑止力として機能している(面がある)と認識される限り、これを頭ごなしに否定する論調はもはや響かない。それほどまでに「中国の脅威」は浸透している。

ただ、有事の際の被害想定は本土の比ではない。本土と沖縄世論の決定的な隔たりが浮かび上がるのは、日米の軍事力が抑止力として機能しない現実に直面した瞬間だろう。国民は有事の際、沖縄や台湾の被害をどれだけ「我が事」と捉えるだろうか。

高市答弁について論じた批評家の福嶋亮大の以下の見解に筆者も同調する。

「不幸にして沖縄やその周辺に戦火が及び、かつそれが長引けば『沖縄を守るために本土が犠牲になる必要はない』という非情な論調が、保守・リベラルを問わず出てきかねない。『日本ファースト』というが、国民がパニックになったときその『日本』に沖縄が入るかは疑わしい」 (12月2日付朝日新聞)

この記事の執筆者