東京の大学生が“沖縄ヘイト”問題を考える【下】

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まず“知る”というところから始めたい

 

秋以降は、在京メディアのジャーナリスト達へのヒアリングを行なった上で、調査・研究の成果をまとめ、幾度かのプレゼンの機会を持った。そのうちの1回は、大学で私が担当している講義の受講生(1~2年生)を対象に行ったもので、OKIRONのコア・エディターの1人であるTBSの松原耕二氏にもコメンテーターとしてご協力いただいた。

ゼミ生のプレゼンは、①沖縄ヘイトとは何か、②沖縄ヘイトの背景・要因は何か、③ジャーナリズムは沖縄ヘイトとどう向き合うべきか、という3つのリサーチ・クエスチョンに沿って、ヒアリングやフィールドワーク等の成果を30分ほどにまとめたものであった。プレゼン冒頭で、1610月の機動隊員による「土人発言」の動画を流すと、200人を超える受講生で満員となった教室は息をのんだように静かになった。自分達と同じ大学生が調べた成果の発表だからなのか、多くの受講生達が集中してプレゼンに聞き入る様子が印象的だった。

松原氏からは、マスコミの内部にも沖縄問題に対する温度差や、関連報道へのある種の倦怠感のようなもの(=「沖縄疲れ」)があること、反対運動を「美しい市民運動」として定型化して伝える傾向が受け手側の「沖縄疲れ」の遠因になっているかもしれないことなど、現場の人でなければ知り得ない話を聞かせていただいた。

受講生のリアクション・ペーパー(感想文)をみると、そもそも「“沖縄ヘイト”自体を知らなかった」という者が少なくなかったことが分かった。そして「土人発言」や「ニュース女子問題」「銀座パレード」などについても「今回初めて詳しい内容を知ってショックを受けました」といった声のほか、「ニュースなどで基地反対デモの映像を見ても、結局何も変わらないのではというイメージを持っていたが、自分でもっと考えなければと思った」「私も無関心な人間の1人なのだと気づかされました。もっと沖縄について本土の私たちが知らなければならないと強く思いました」といった感想が寄せられていた。

ゼミ生達のプレゼンが、少なくとも沖縄について考え、関心を持つことへの「きっかけ」を受講生達にもたらしたことは間違いないように思う。

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