コトバをめぐるもう一つの社会変容~言語復興
以上は、私の生活体験における印象論を述べたに過ぎない。「研究者」的に言えば、新都心界隈という沖縄でも特殊な地域での、しかも小学生の会話だけを聞いて導いた「仮説」に過ぎない。エイサーの道ジュネーが盛んな本島中部の各集落のように地域共同体の文化が旧世代から新世代に着実に継承されている地域ではまた違った状況があるだろう 。
それでも、私の単なる「独り合点」ではないという確信があるのは、沖縄県が実施した意識調査で私の見立てをサポートするようなデータがあるからだ。
沖縄県は2013年に初めて沖縄県内各地の固有言語(しまくとぅば )に関する県民意識調査を実施した。そこでは、「しまくとぅば」を「まったく使わない」、「あまり使わない」と答えた人が、70代では13%に過ぎないのに10代では63%に達していた。さらに2016年に行われた2回目の調査では、10代の同じ回答の比率は70%にまで拡大している。世代交代の進行と共に「しまくとぅば」由来の単語を使わなくなる傾向が読み取れる。
沖縄県では、琉球「処分」以来、人々が「日本語化」=「日本への同化」圧力にさらされ続けた事の裏返しとして、「しまくとぅば」は「日本語の取得を阻害する」「次世代に積極的に伝える意味がない」コトバとして観念される傾向が強かった。学校教育の現場でそうした観念を植え付けたのが「方言札」だ。上述した県の調査データは、「方言札」に象徴される「日本語化」のプロセスが現在最終段階にまで進んでいる事を示唆しているのかもしれない。
ただ、こうした状況に対する危機感の高まりから、近年、沖縄県内では 「しまくとぅば」の再生を目指す言語復興の取り組みが活性化している。長年の「日本語化」によっていわば「奪われたコトバ」を奪い返す取り組みだ。こうした取り組みの広がりは、コトバをめぐる沖縄の社会変容のもう一つの側面でもある。
活性化の大きなきっかけは2009年、ユネスコ(国連教育科学文化機関)が編纂している「世界危機言語地図」で、那覇など沖縄本島中南部で話されている「沖縄語(ウチナーグチ)」を含む沖縄県内の5言語(他は国頭語・宮古語・八重山語・与那国語)が、将来的に消滅する危険性がある「危機言語」に位置づけられた事だ。消滅の危機にある沖縄県内の「しまくとぅば」の復興を目指す取り組みは2006年には沖縄県が「しまくとぅばの日」を制定するなど、それ以前から活性化の方向にあったが、国際機関が認定した事のインパクトは大きく、以後、行政施策としての取り組みが本格化する。
若年層に顕著な「しまくとぅば離れ」に歯止めをかけようと沖縄県は2013年に10カ年の「しまくとぅば」普及推進計画を制定。教育委員会も参画する大掛かりな体制で、現在、学校教育における「しまくとぅば」授業の導入から、民間文化団体による普及活動促進まで広範囲な活動を展開している。2017年には県庁内に事業を統括・コーディネートする「しまくとぅば普及センター」も設定され、取り組みが一層強化されている。