日常生活から見る沖縄の社会変容~コトバ編

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沖縄の「コトバの力」の行方

 

沖縄の10代、20代の若者については、近年、特に政治の文脈で、上の世代と大きな相違点がある事を指摘する沖縄発の記事や論考が目立つようになった。例えば、県知事選や名護市長選挙で10代、20代の投票行動が他の世代と比べて突出して自民党推薦候補の支持に傾いている事や、この世代のSNSへの依存度の高さゆえにフェイクニュースに惑われやすい傾向を指摘した記事が出ている 。

全般として、今までの世代交代とは質的に違う変化が今の沖縄の若者に生じているという現場の感触があり、戸惑いながらその原因を探っているというのが現況のようだ。本稿でいう「フツーの日本語化」もあるいはこの世代をめぐる大きな変化の一つの側面なのかもしれない。

コトバは「我々意識」を喚起する重要な要素であり、人々の心に訴える強い力を帯びている。その力を広く再認識させたのが翁長前知事が2015年の県民大会で発した「ウチナーンチュ・ウシェーティ・ナイビランドー(沖縄の人を馬鹿にしたらいけませんよ)」という表現だ。翁長知事の遺髪を継ぐ現職の玉城デニー知事もまた、演説などで沖縄語由来の表現を多用する事で知られるが、ローカルラジオのパーソナリティだったがゆえにコトバが大きな力を持っていることを体感的にわかっているからだろう。

しかし、沖縄県の人々の話しコトバが「フツーの日本語」化してゆけば、そのコトバの話者が共有する情感を盛り上げる力は失われてゆく事になる。「ウシェーテル」を日々の学校生活で使っていた妻の世代の沖縄本島中南部の人には、前出の翁長知事の言葉の言霊は響くが、もし今の小学生世代で日常会話の「フツーの日本語化」が進んでいるとすれば、彼・彼女らが大人になった時、「ウチナーンチュ・ウシェーティ・ナイビランドー」の日本語で表現しきれない情感はどこまで伝わるだろうか?
こう考えると、沖縄のコトバの未来は、「ウチナーンチュの未来」というより大きなテーマとも密接につながっている。「しまくとぅば」の話者ではない私が出来る事は限られるが、その行く末を気にかけてゆきたい。

【参考文献】
新垣友子・島袋純2016「琉球諸語復興のための言語計画―言語権をめぐる国際的動向と現状」、『沖縄キリスト教学院大学論集』第13号
上間陽子2017『裸足で逃げる-沖縄の夜の街の少女たち』大田出版
小川晋史2017「ウチナーヤマトゥグチのアクセントについてのおぼえがき」『熊本県立大学文学部紀要』第22巻(通巻76号)
沖縄県2014「『しまくとぅば』普及推進計画」
沖縄県2014「しまくとぅば県民運動推進事業県民意識調査(報告書)」
沖縄県2017「平成28年度しまくとぅば県民意識調査報告書」
大城朋子2017「『うちなーやまとぅぐち』から『しまくとぅばルネサンス』を考える-語学教育の視点から-」沖縄国際大学公開講座委員会編『しまくとぅばルネサンス』編集工房東洋企画
沖縄大学地域研究所編2013『琉球諸語の復興』芙蓉書房出版
かりまたしげひさ2008「トン普通語・ウチナーヤマトゥグチはクレオールか-琉球・クレオール日本語の研究のために-」『南島文化』(30)
座安裕史2017『ウチナーヤマトゥグチの研究』森話社
杉田優子2014「琉球弧のメディアを巻き込む」下地理則・パトリックハインリッヒ編『琉球諸語の保持をめざして-消滅危機言語をめぐる議論と取り組み』ココ出版
ダニエル・ロング2013「奄美大島のトン普通語と沖縄本島のウチナーヤマトゥグチの言語形式に見られる共通点と相違点」『日本語研究』(33)
ひーぷー(真栄平仁)・じゅん選手(大城純)・すーずー(照屋鈴夏)・さーきー(城間紗希)2017『今どきウチナーグチ&ウチナーギャル語』沖縄時事出版

【文中編注】

[1] 現代の沖縄本島の話しコトバを表現する際、「ウチナーグチ」と「ウチナーヤマトゥグチ」という2つの呼称がよく使われるが、関連文献を見ると、その意味内容や両者の関係は専門家であっても人によってマチマチなようだ。この原稿は論文ではないので用語の意味内容を細かく詰めることはしない。とりあえず後述するユネスコ(国連教育科学文化機関)の「世界危機言語地図」の整理に依拠し、琉球王朝時代より沖縄本島中南部の人たちが日常生活で使っていた話しコトバの体系を「沖縄語(ウチーナグチ)」とする。その上で、日本語をベースにしつつ、そこに「沖縄語」由来の単語や表現を取り込んだ話しコトバを指す意味でウチナーヤマトゥグチと表記したい。

[2] ラジオ沖縄の人気番組「ティーサージ・パラダイス」の関連本『今どきウチナーグチ&ウチナーギャル語』(沖縄時事出版)では本島中部では20代後半の女性も「ゆんたく」を使うという証言があるので、地域によって差があるのかもしれない。

[3] 「ハバ(かっこつける)」は妻の中高生時代の若者言葉だったようだが、沖縄語由来の表現かどうかは定かではない。

[4] 妻から聞いた話や関連本を見ると、現代沖縄のウチナーヤマトゥグチはその時代時代の沖縄の中高生の学生文化と密接な関係がありそうだ。だから「ウチナーヤマトゥグチのフツーの日本語」化という仮説を論証するには私が普段聞いている小学生の話しコトバだけではまだデータが不十分だという事になる。

[5] 「しまくとぅば」は沖縄県内で話されている言語の総称として近年主流的に使われるようになった用語だ。後述するユネスコの「世界危機言語地図」に記載された沖縄県内の5つの固有言語(沖縄語・国頭語・宮古語・八重山語・与那国語)を総称する際に使われる。専門書ではこの5言語に「奄美語」を加えた6言語を指し示す「琉球諸語」の用語がよく使われている。なお、県の調査は沖縄県全域を対象に行われたものなので、当然沖縄語(ウチナーグチ)以外の4言語が話されている地域の状況も調査対象になっている。

[6] ちなみに息子たちは学校で「しまくとぅば」の読本こそ配布されたものの、これらの読本を使った授業を受けた記憶については、兄弟のどちらも「あったようななかったような、よく覚えていない」という返事であった。他方、沖縄タイムスではこれら読本を使った那覇市内の別の小学校の授業を取材した記事が掲載されており、「しまくとぅば」教育の実情は地域や学校によって大きく異なるようだ(沖縄タイムス2017年11月7日)

[7] 例えば沖縄タイムスの與那覇里子記者の記事「本土に伝わらない沖縄の本音と分断」(『ニューズウィーク』2018年10月2日号)、與那覇里子記者と下地由美子記者の記事「メディアが捕らえきれない『若者』―ネット〈デマ戦争〉の始まり」(『世界』2018年12月号)

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