民意置き去りに危機感
金城さんは地元の高校を卒業後、「世界平和に貢献する国際公務員」を夢見て米国南部のアーカンソー州立大学に留学した。卒業後はジョージア州アトランタにある日系の自動車部品商社に就職、営業マンとして東奔西走していたが、自分がつくっていないモノを売ることに違和感を覚えるように。
「そこで私は気づいた。私はモノをつくる側の人間なんだ。でも何を作れるのだろう。そうだ。小さいころから一番身近にあったもの。農業だ」。
2014年6月、アメリカからUターン、父親のもとでマンゴー農家としての修行を開始した。
平得大俣への陸自配備計画が浮上したのは、その1年5カ月後の2015年11月。マンゴー農園から数百㍍の距離。隣接地の開南集落など4地区住民の大多数が反対の声を挙げた。
でも手続きは進んだ。
「イヤと言っている地域住民の声があるのに…。何か大事なものが置き去りにされているのではないか」。
地域住民が声を大にして訴えているのに、手続きは加速する。そこで住民と市民有志が昨年10月13日、住民投票を求める会を結成し、最終手段に打って出た。
金城さんが代表に推挙され、「計画地に隣接し、一番身近に感じている人として、責任をもって前に立ち、伝えていく責務がある。若い人がやるしかない」と覚悟を決めた。
広がる共感の輪
金城さんが代表に就くと、同じ農業仲間や同級生、先輩、後輩らが次々と運動に加わったり、ネット上で支援したり、共感の輪が広がった。
中心メンバーとなったのは、いずれも同級生の宮良央(なか)さん=白保=と伊良皆高虎(たかとら)さん=於茂登=だ。宮良さんは子牛を生産する畜産農家、伊良皆さんはハーブを生産加工するハーブティー農家。
宮良さんの住む白保は、かつて新石垣空港建設予定地となり、賛否をめぐって集落が二分された地域。辛い過去を見聞きしている。
宮良さんが島に戻った3年前、石垣市役所の新庁舎建設位置が関心事だった。市は、外部委員会の答申を受け、津波浸水区域内にある現在地での建て替えを計画したが、これに議会が「民意は反映されていない」と待ったをかけ、住民投票の実施を決めた。
結果は、浸水区域外にある高台の旧空港跡地に大差で決まった。現在、着工を間近に控えている。
「あれが直接民主主義なんだ。住民投票は右、左を問わず大事なものだと思った」。
翻って陸自配備計画はどうか。
「果たして民意は問われてきたのか。民意を求めようという姿勢が感じられない」。
実際、昨年3月の市長選で現職の中山義隆氏は態度を明確にしなかった。これまで真っ正面から民意が問われたことはなかったのである。