基地配備は争点にならず? 「自衛隊」で揺れる石垣島

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島のど真ん中

石垣島への陸自配備計画は、南西諸島の防衛強化を目的とする中期防衛力整備計画(中期防)に基づくもの。同じ八重山諸島で石垣島から西に約127㌔離れた与那国島には、16年3月に160人規模の沿岸監視隊が配備された。石垣島は、与那国島を後方支援する最前線の実力部隊との位置づけだ。しかし、奄美大島、宮古島で配備計画が着々と進む一方、石垣島では遅れている。ここでメドをつければ、南西諸島の防衛強化は完結する。防衛省はそう思っているだろうが、簡単ではない。反対運動が盛り上がりをみせているからだ。
防衛省が配備先候補地に挙げている平得大俣地区は島のど真ん中、県内最高峰の於茂登岳(標高525・5㍍)の近くにある。於茂登岳は戦時中、旅団司令部が戦局悪化に伴って移動してきた最後の砦だった。天然の要塞。今も昔も軍事戦略は変わらないのかもしれない。

その於茂登岳を背後にする平得大俣地区にある農村地区、開南集落には34世帯83人(9月末現在)が暮らす。境界線のフェンスと隣り合わせの民家もある。金網の向こうには弾薬庫や訓練場が計画されている。ヘリの配備は現段階ではないが、防衛省は、運動場などへの離着陸の可能性を否定していない。同省は来年度から、トラブル続きのオスプレイ17機の導入を計画しているが、ことし9月にエンジンオイル漏れを起こした1機が新石垣空港に緊急着陸したばかり。住民の不安は以前にも増して高まっている。

民意はいずこ

石垣島では沖縄本島のような地上戦はなかったが、太平洋戦争の末期、日本軍の命令でマラリア有病地への避難を強制され、多くの住民が命を奪われた惨劇がある。いわゆる「戦争マラリア」。竹富町を含む当時の人口の11・5%に当たる3647人が無念の死を遂げた。私の祖父、おじ、おばら4人も犠牲になっている。
戦後、石垣島など八重山には米軍基地も自衛隊基地もつくられたことはない。このため、基地にからむ事件事故、騒音などとは無縁の生活をしてきた。

「今のままで平和に暮らしていける」「軍隊は住民を守らない」「自衛隊基地が配備されれば真っ先に標的になる」「石垣島への配備は抑止力にならず、逆に中国を刺激するだけだ」
自衛隊配備計画が浮上して以降、市民団体や労組などで構成する「石垣島への自衛隊配備を止める住民の会」が結成され、配備先候補地周辺の4公民館も加わった「石垣島に軍事基地をつくらせない市民連絡会」も発足した。

連絡会は、反対署名運動に取り組み、9月19日までに1万4022筆を集め、中山市長らに提出した。6月議会で住民投票条例案が与党の反対多数で否決されたのを受け、これに代わる手段として7月中旬から署名運動を開始、18歳以上の有権者3万8501人(9月1日現在)の36・4%に達する署名を集めたのだ。これだけの署名はかつてない。

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