基地問題を考える回路を取り戻す

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日米同盟:安保条約からの離陸

しかし、これが2000年代に入ってくると、「日米安保条約」という枠内でものを考えるのは時代にそぐわないという認識が、政府関係者の間で徐々に強まっていき、その枠組みを越えようとする動きが出てくることになる。その動きを象徴的に示した文書が、2005年10月に2プラス2(日本側は外務・防衛両大臣、米側は国務・国防両長官)で合意された「日米同盟:未来のための変革と再編」であり、また2006年6月に小泉純一郎総理大臣とジョージ・ブッシュ米大統領によって発表された「新世紀の日米同盟」である。

いずれも表題に「日米同盟」という言葉が前面に掲げられ、本文でも繰り返し「日米同盟」の大切さが説かれているが、ここで重要なことは、96年の共同宣言とは異なって「日米安保条約」という言葉がほとんど使われなくなっている、ということである。つまり、「日米安保条約」が「日米同盟」の中核にあるという考えが弱くなっており、いわば「日米安保条約」とは切れたかたちで「日米同盟」が語られはじめているのである。

もっとも、両文書はアメリカの世界的な米軍再編の流れの中で生み出されたものであり、したがって沖縄を含む在日米軍および米軍基地のあり方が1つの大きな焦点であったことは確かである。とくに防衛庁は、この米軍再編を追い風にして、普天間基地の移設問題を新たな角度から見直す(辺野古の沖合案から沿岸案へ)と同時に、嘉手納以南の基地返還など沖縄の基地負担の軽減をさらに推し進めようとしたのである。

日米安保条約レベルの議論をもう一度組み込む

しかし重要なことは、「日米同盟」と「米軍基地」を論理的につなぐ「日米安保条約」という媒介項が後方へと退いたことによって、同盟をめぐる議論と米軍基地をめぐる議論が次第に分離していった、ということである。つまり、「日米同盟」の基盤には「日米安保条約」があり、その安保条約の根底にはアメリカへの「基地提供」問題が横たわっているという論理的な筋道が、徐々に見えなくなっていったのである。

したがって大事なことは、いまや様々な領域で同盟強化を進めている日本政府の認識に、またそれを支える国民の認識に、「日米安保条約」レベルの議論をもう一度組み込んで、「米軍基地」や「在日米軍」の問題もいま一度根底から考えるための回路をつくり出すことである。

またそのことは、「主権」や「対等性」や「自立」などの問題を脇に置きながら、もっぱら「安全保障」の問題に焦点をあててきた同盟をめぐる議論を相対化することにもつながるだろうし、両者の対話が展開されるその地平にこそ、新しい安全保障のあり方や、ひいては今後の日本の国家像がみえてくるのではないだろうか。

*日米安保条約とは別に「日米安保体制」ないし「日米安全保障体制」という言葉も広く使われているが、本稿では紙幅の都合と論旨を明確にするために、この点についてはあえて触れなかった。

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