玉城デニー新知事誕生~「翁長路線」のアップデート

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新たな次元へ

 

今回の知事選挙は自民、公明、維新が総力を挙げて支援した佐喜真淳氏と「オール沖縄」陣営が推した玉城デニー氏の事実上の一騎打ちであったが、結果は8万票余りの大差をつけて玉城氏が当選した。選挙の最大争点はもちろん名護市辺野古への新基地建設の是非であり、多くのメディアがこの点に注目して今回の選挙戦を報じた。また建設阻止を訴えた玉城氏についても、翁長氏の後継者としての側面のみがクローズアップされた。

しかし、今回の選挙戦をつぶさに見て感じたことは、玉城氏が単に「翁長路線」の継承者ではなく、その路線を様々な面でアップデートした、あるいはする可能性を秘めている、ということである。つまり、「翁長路線」を踏まえつつそれを新たな次元に移行させた、あるいは今後さらに移行させる可能性を秘めている、というのが私の見解である。今回はこの点に絞って論じてみたい。

 

アイデンティティー論の更新

まず第1は、アイデンティティー論の更新である。翁長氏の課題は長年にわたる沖縄内部の保革のイデオロギー的対立を乗り越えることであり、そのため同氏はイデオロギーよりも根底にあるウチナーンチュ(沖縄人)のアイデンティティーに訴えて、それを基盤に沖縄内部がまとまることを説いた。その際に翁長氏の念頭にあったのは、対本土政治である。つまり、米軍基地を押し付けてくる本土政治に対し、ウチナーンチュとしての誇りを失うことなく、団結して抗うことの大事さを説いたのである。その意味で同氏のアイデンティティー論は、政治的な文脈で語られたものであり、しかもウチナーンチュの「誇り」と強く結びついたものであった。

一方、玉城氏の唱えるアイデンティティー論は、その翁長氏的なものを踏まえつつも、より中身を充実させ、それを沖縄社会の今後のあり方(後述)と結びつけて県民の前に提示したことが特徴的である。玉城氏がウチナーンチュのアイデンティティーの基盤に据えたのは、みずからの出自、生い立ち、生き様などから経験的に導かれた、いわゆる「チムグクル」(肝心)や「多様性」である。その意味で玉城氏のアイデンティティー論は、団結を促す政治的な機能を超えて、より社会を支える土台のようなものとして機能し、なおかつ動態的で外に開かれたものとして捉えられている。

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