基地問題を考える回路を取り戻す

この記事の執筆者

かつて私は、本土と沖縄は政治空間そのものが異なっており、例えば日米関係の側面からみれば、一方の本土は「日米同盟論」がリアルでそれにフィットした政治空間にあり、もう一方の沖縄は「対米従属論」がリアルでそれにフィットした政治空間にあると論じたことがある(https://okiron.net/archives/311)。今回はこの議論を踏まえた上で、いま少しこの問題を掘り下げて考えてみよう。

同盟の基盤は日米安保条約

「日米同盟」という言葉が「正」のイメージをもって使われはじめるのは、冷戦終結後の1990年代に入ってからである。なかでも1996年4月に橋本龍太郎総理大臣とビル・クリントン米大統領によって発表された「日米安全保障共同宣言」は、まさにその副題が「21世紀に向けての同盟」と記されているように、「同盟」という言葉を正面から打ち出した象徴的な文書であった。

今回のテーマとの関連で重要なことは、同共同宣言が単に日米同盟を高らかに謳っているだけでなく、「日米安保条約が日米同盟関係の中核」である、と述べている点である。つまり、「日米同盟」の基盤には「日米安保条約」があるという認識である。外務省の条約局長であった竹内行夫によれば、当時橋本首相は竹内らに対し、こう述べたという。「君たち、誤解しないでくれよな。僕が考えているのは日米安保の『効果的運用』であって、『拡大』ではないからね」(春原剛『同盟変貌』51頁)。

同共同宣言は1978年の「日米防衛協力のための指針」(ガイドライン)を見直すなど、これまでの安全保障政策からみれば画期となる方向性を打ち出しているが、しかし当の橋本本人からすれば、それは日米安保の「拡大」ではなく、あくまで「効果的な運用」の範囲内にあるという認識であった。

この記事の執筆者