「沖縄の問題」ではなく「日本全体の問題」として考える

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本土と沖縄の政治空間の違い

 

私は昨年あたりから「政治空間」という言葉をよく使い、本土と沖縄の溝を説明している。簡単に言えば、本土においては冷戦終結後に保革のイデオロギー的対立が終焉し、一方の当事者であった革新勢力も衰退し、政治空間全体がいわば「保守的」なものへと変わっていったのに対し、沖縄では保革のイデオロギー的対立を残しつつもその両者が接近し、次第に「革新的」な政治空間に変化していった、ということである(詳しくは、拙稿「沖縄と本土の溝」五百旗頭薫他編『戦後日本の歴史認識』)。

 

たとえば、去る10月の衆議院選挙で自民党が全国的には圧勝したのに対し、沖縄では4選挙区のうち3選挙区で自民党候補者が敗北し、しかも共産党と社民党の候補者がそれぞれ小選挙区で勝利したところをみても、そのことが理解できるのではないか。

 

よって、全体的に「保守化」していった本土の側からみると、沖縄の政治空間は異質なものとして映りはじめ、逆に「革新的」な空間へと移行していった沖縄の側からみると、本土の政治空間は理解しがたいものとして映っていき、かくて両者の対話を可能にする土台そのものが、崩れはじめているのである。

 

「日米同盟」論、「日米従属」論、どちらもリアル

 

ではなぜ本土と沖縄の政治空間は、これほどまでに異なるものになったのだろうか。私はその最大要因として、沖縄の基地の過重負担を戦後日本が解決できなかったことにある、と考えている。つまり、かつては135200ヘクタールもあった米軍基地が今では7750ヘクタールにまで減少した本土と、戦後70年以上も経った今日においても18600ヘクタールもの米軍基地が存在する沖縄との違いが、こうした政治空間の違いをも生み出したと考えるのである。

 

もう少し別の角度から言えば、駐留米軍や米軍基地に付着する「負」の側面を拭い去って「日米同盟」という言葉を定着させ、その「日米同盟」を深化・発展させていった本土の政治空間と、いまだ広大な米軍基地あるがゆえに数多くの米軍絡みの事件・事故が起こり、しかもそれに対する日本政府の対応から「アメリカへの従属」という言葉が実感できるような沖縄の政治空間とは、異なるものがあるということである。

 

これは、「日米同盟」論と「日米従属」論のどちらがリアルなのかという話しではなく、どちらもその拠って立つ空間自体が違うということであり、したがってどちらもその空間に身を置けば、リアルなのである。置かれた空間の違いから、日米関係のそれぞれの側面がみえるという話しである。

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