コラム 穀雨南風⑩~世代と記憶

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 日韓関係がこじれている。

 政治の関係が悪くても、経済的な関係や、民間レベルの交流にはさほど影響を与えない。それどころか、互いの国を訪れる観光客は、かつてないほど増えている。これまではそんな安心感を持てていたはずなのに、それがいま、崩れつつあるように見える。日本製品の不買運動が予想を超えた広がりをみせ、民間交流事業も次々と中止に追い込まれているからだ。

 そうなると、私が担当しているBS-TBSの「報道1930」でも、どうしても日韓関係をとりあげる頻度が高くなる。スタジオに呼ぶゲストは一度に3人か4人ほどなのだけれど、何度も重ねていくうち、政治家、元外交官、学者、ジャーナリストなど、これまで合わせると何十人もの方に来ていただいたことになる。

 そうしたゲストの方にスタジオで話をうかがうのだけれど、時に控え室で聞く話にこそ、はっとさせられることがある。人は生放送で話すよりも、緊張から解放されたときのほうが普段着の言葉が出てくるものなのだ。

 ある夜のことだ。放送が終わったあと、元外交官がこう口にした。

「もっと年上の先輩に言われるんですよ。『お前はどうしてそんなに韓国にきつい事が言えるんだ』って。私より上の世代の外交官には、韓国への贖罪意識があるんですよ。でもその贖罪意識から、韓国の言うことを最後は聞いてきた。甘やかしてきた面があるんですよ」

 この言葉を発した元外交官も、戦後生まれとはいえ、とうに退官しているのだから相当な年齢にいっている。その彼より、もっと上の世代といえば、戦前生まれか、戦中生まれといった世代が中心ということになるのだろう。

 つまりこういうことだ。

 日本はかつて韓国を併合し、35年間にわたって植民地支配を行った。

 贖罪意識を抱く世代はそのことに心を痛め、韓国側の少々の無理な要求にも答え、日本からみるとにわかには許容できない振る舞いにも目をつぶってきた。そうやって韓国を甘やかしてきたことが、今の韓国の振る舞いにつながっている。

 こうした趣旨のことを、元外交官は言いたかったのだろう。逆に言えば、贖罪意識が薄れ、もっと言えば贖罪意識がなくなった世代が、日韓関係を担うようになってきたということだ。それは外交官だけでなく、政治家も同じだろう。今回の日韓関係の背景には、日本側の世代交代による意識の変化も背景にあるのではないか。元外交官だけでなく、政権に近い政治家に話を聞いても、同じことを感じてしまう。

 彼らの言葉を聞きながら、私はふと沖縄を思い出した。本土からの沖縄への視線にも共通するものがあるように感じたのだ。

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