穀雨南風⑮~復帰50年・フェンスが突きつける現実

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先日、毎日新聞などが主催する「沖縄復帰50年を問い直す」

というシンポジウム(毎日新聞社など主催)で、

基調講演をさせていただきました。

きょうは、そのときの講演録を少しだけ手直ししたものを掲載します。

「本土」という言葉への違和感

こんにちは、「報道1930」キャスターをしています松原耕二と申します。

「報道1930」は2018年10月1日にスタートしたのですが、

記念すべき最初のゲストが、玉城デニー知事でした。

前日が沖縄県知事選挙、当選ほやほやの玉城知事に話をうかがったのを覚えています。

私自身、玉城知事を始め、きょう登壇される方々のお話をうかがうために、

ここに来たのですが、お前も何かしゃべれ、ということですので

貴重なお時間をいただいて、

「本土のメディアで仕事をしている人間」の立場から

少しだけ話をさせてもらうと思います。

いま私は「本土」という言葉を使いましたが、

この言葉を口にするたび、違和感を抱きます。

初めて沖縄に行ったとき「ヤマトの人」と呼ばれ、不思議な気がしたものですが

その後、沖縄の人が自分たちのこと「うちなんちゅ」と呼び、

本土の人間を「やまとんちゅ」と呼ぶことを知るにつれ、

自分の中では逆に、そんなふうに沖縄と本土を分けて呼ぶことへの

抵抗感が生まれていきました。

「本土」という言葉を使うこと自体が、沖縄をどこか特別な、

もっと言えば、特殊な場所としてとらえているということになりはしないか、

そんなふうに感じたのです。

沖縄をこよなく愛した筑紫哲也さんの「ニュース23」がスタートしたとき、

私は、一番下っ端のディレクターとして参加しました。

それ以来、ニュース番組の中で「基地問題」を何度も取り上げましたが、

そのたび、どうしても「本土」という言葉を使ってしまう。

国土交通省の分類では、北海道、本州、四国、九州、沖縄本島の5つの島が「本土」。

とすると「本土のメディアで仕事をしている」という私の言い方自体が本当はおかしい。

私は福岡出身ですが、「九州と本土」という言い方は決してしません。

しかし沖縄の基地問題を語るときには、

「沖縄と、それ以外の日本」という対比が必要になってくる、

本土と言わずに、「沖縄以外の都道府県」と言えば、より正確なんでしょうが、

テレビで毎回、そう表現するのはまどろっこしい、

それでやむなく「本土」という言葉を、違和感を抱えながらも使い続けています。

「沖縄とそれ以外の日本」という構図で、語らなければならないこと、

それ自体が、沖縄復帰50年たっても、沖縄に基地の過重な負担を負わせている。

その現実をまざまざと示している、ということなのだと思います。

そしてそのことを、強烈に突きつけられたのが、 亡くなられた翁長雄志知事との対話でした。

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