沖縄と本土を隔てるフェンス
沖縄の米軍基地のフェンス、その外と中で生きている人、様々立場の人々の
ありのままの声を拾うことで、何が見えてくるのだろう。
そんな思いで始めた取材でした。
取材を始めた当初は、中と外の「わかりあえなさ」のようなものが
見えてくるのではないか、と思っていました。
もちろんそれはその通りでした。
いくつかの米軍基地の内部を5日間、朝から晩まで密着したのですが、
米兵たちからは「基地に反対しているのはほんの一部でしょう」とか、
「反対派の声は聞いたことない」と何度も聞かされました。
中から外は本当に見えていない。そのことを痛感しました。
案内してくれた米軍の広報官は、米軍機の爆音を聞いて
空を見上げて「正義の音」だと誇らしげにつぶやいたのを、はっきりと覚えています。
基地の周りに住む沖縄の人々が、その爆音をどう聞くかは、もう言うまでもないでしょう。
例を挙げればきりがないのですが。
ことほど左様に、フェンスの外と中の「わかりあえなさ」を身に染みて感じました。
しかし、それ以上に、痛感したのは、
実は、沖縄と本土を隔てるフェンスのほうが、より深刻なのではということでした。
沖縄の海兵隊のナンバー2にもインタビューしたのですが、
なぜ沖縄に基地が集中している必要があるのか、と問うと、
戦略上の話をいろいろするのですが、決まって、最後に言われるのは
「日本政府と合意の上のことなんですよ」という、殺し文句とも言える言葉でした。
他の米軍関係者と話をしても、「ボールは日本側にある」、
「私たちは日本政府と合意したことを、履行しているだけだ」と繰り返しました。
さらに、過去には、アメリカが沖縄の海兵隊を
アメリカ本土に移転することを検討したとき、
日本側が現状維持を求めたことを示す、外交文書が見つかっていたり、
それだけではなく、日本側が海兵隊を残すことを求めた外交資料が
研究者たちの調査で幾つも出てきたりしています。
沖縄の人々に話を聞いても、
高齢の方々は、沖縄戦での日本兵がいかにひどかったか、
米兵のほうが優しかったといった話を、何度も聞かされましたし、
もっと下の世代の人々からも、日本政府、あるいは本土の人間の
「無関心さへの失望」の思いを何度も耳にしました。
沖縄にいまだ基地が集中している故の、
米軍と沖縄の人を分かつフェンス、
それだけではなく、「沖縄の人々と本土の人々の間に横たわるフェンス」、
これも、復帰50年たった今、私たちが直面している現実なのだろうと思います。