「穀雨南風」⑯ ~ 防衛大転換と民主主義、そして哲学

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「出来レースじゃないですか」

私たちはなぜ議論によって互いの理解を深め、よりよい結論を導き出すことが得意ではないのだろうか。もしそうなら民主主義というものが、いまだ私たちの社会に根付いていないということなのだろうか。

去年終わりのことだ。岸田文雄総理が私の担当する番組「報道1930」に出演したのだが、その中で政策決定のプロセスを図解して問うた。

たとえば反撃能力については、まず去年4月に自民党が提言を出し、9月から11月までに4回開かれた有識者会議も「反撃能力の保有は不可欠」と打ち出す。これを受ける形で、政府は閣議決定を行うことになったのだが、有識者会議のメンバーのひとりに聞くと、「私の発言時間は1回の会議につき数分、詳細な議論はなかった」と証言する。

さらに原発については、2月から12回にわたって開かれた経産省の「原子力小委員会」が、運転期間延長や新増設を認めることを打ち出し、それを受ける形で政府の「GX実行会議」がこれを了承、まもなく閣議決定する予定だ。

ところが、「原子力小委員会」はメンバー21人のうち脱原発派はわずか2人、「GX実行会議」には中部電力やENEOSの幹部など利害関係者が含まれているうえに、議事録を読むと、原発に慎重意見を述べているのは13人のメンバーのうち、わずか1人にすぎない。

要するに結論ありきで、その結論を導き出してくれるメンバーを揃えて、専門家のお墨付きを得た形にする。第三者の体裁をとっているが、その実は官僚のシナリオに乗った歌舞伎のようなものと言われても仕方がないだろう。

「出来レースじゃないですか」

私がそう尋ねると、岸田総理は気色ばんだ。「一部だけ切り取って、これが議論のすべてだと言うのは無理がある。安全保障については1年前から議論を行い、有識者会議以外にも多くの専門家の意見を取り入れ、与党の中でも議論を重ねてきた。これで全部だというのは誤解を招くと思います」

感情をあまり表に表さない岸田総理にしては、意外なほど強い調子だった。

 もし岸田総理が本心から議論を尽くしたと思っているとしたら、なぜ議論や説明が足りない、という声がここまで出てくるのか、そのギャップをどう考えたらいいのか。しかも結論を出す前に既成事実化が進んでいたと思わせるものがある。

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