沖縄の保守政治家の素顔
翁長さんには、知事になられたときの選挙戦から、
何度もインタビューしましたが、たとえば
当選した日の夜遅くにも、選挙事務所で話を聞きました。
まさに祭りのあとの静けさ、といった感じだったんですが
驚いたのは、翁長さんがまったく高揚していないこと。
そのことを聞くと「自分はいびつな人間なんだ」と言っていました。
政治家一家に生まれて、子どものころから、選挙も数えられないほど経験した、
だからもう高揚なんてしない、ということなんでしょう。
沖縄の保守政治家の素顔を見たような気がしたのを覚えています。
「翁長家3代」を調べて、ノンフィクションも書きました。
翁長さんのおじいちゃんは、沖縄戦で米軍の砲弾を受けて亡くなり、
お父さんは政治家として、軍政府のトップだったキャラウェイの強権政治に
抗議する先頭に立ち、
翁長さん自身は、辺野古移設に反対して日本政府と対峙した。
翁長家3代の物語は、沖縄の戦中・戦後の歴史そのものと言ってもいいと思います。
その取材の過程で、翁長さんと対話する中で、たとえば
翁長さんが県議時代には辺野古移設を容認していたが、その後反対に回った、
その理由を尋ねると、すぐにこう返されました。
「苦渋の選択なんですよ。あなたたち本土の人には、
苦渋の選択という言葉は理解できないいでしょうけど」。
強烈でしたね。
翁長さんのあの口調で、真っ正面から言われるわけです。
「あなたがた本土の人間は、わかっていない」と。
自分は、記者としてどちらの側にも立っていないつもりだったんですが
ああ、翁長さんにとっては、自分は記者である前に、本土側の人間なんだ、
ということを、強烈に突きつけられた思いがすると同時に、
本気で沖縄と向き合わなければと思わせてくれた気がします。
そして、本土という言葉をふたたび、突きつけられたのは、
「フェンス」という2時間のドキュメンタリーをつくった時でした。