穀雨南風⑮~復帰50年・フェンスが突きつける現実

この記事の執筆者

沖縄の保守政治家の素顔

翁長さんには、知事になられたときの選挙戦から、

何度もインタビューしましたが、たとえば

当選した日の夜遅くにも、選挙事務所で話を聞きました。

まさに祭りのあとの静けさ、といった感じだったんですが

驚いたのは、翁長さんがまったく高揚していないこと。

そのことを聞くと「自分はいびつな人間なんだ」と言っていました。

政治家一家に生まれて、子どものころから、選挙も数えられないほど経験した、

だからもう高揚なんてしない、ということなんでしょう。

沖縄の保守政治家の素顔を見たような気がしたのを覚えています。

「翁長家3代」を調べて、ノンフィクションも書きました。

翁長さんのおじいちゃんは、沖縄戦で米軍の砲弾を受けて亡くなり、

お父さんは政治家として、軍政府のトップだったキャラウェイの強権政治に

抗議する先頭に立ち、

翁長さん自身は、辺野古移設に反対して日本政府と対峙した。

翁長家3代の物語は、沖縄の戦中・戦後の歴史そのものと言ってもいいと思います。

その取材の過程で、翁長さんと対話する中で、たとえば

翁長さんが県議時代には辺野古移設を容認していたが、その後反対に回った、

その理由を尋ねると、すぐにこう返されました。

「苦渋の選択なんですよ。あなたたち本土の人には、

苦渋の選択という言葉は理解できないいでしょうけど」。

強烈でしたね。

翁長さんのあの口調で、真っ正面から言われるわけです。

「あなたがた本土の人間は、わかっていない」と。

自分は、記者としてどちらの側にも立っていないつもりだったんですが

ああ、翁長さんにとっては、自分は記者である前に、本土側の人間なんだ、

ということを、強烈に突きつけられた思いがすると同時に、

本気で沖縄と向き合わなければと思わせてくれた気がします。

そして、本土という言葉をふたたび、突きつけられたのは、

「フェンス」という2時間のドキュメンタリーをつくった時でした。

この記事の執筆者