拙著「反骨~翁長家三代と沖縄のいま」にも書いたが、亡くなった翁長雄志・前知事は自民党の政治家の変容ぶりを嘆いていた。
野中広務、後藤田正晴、橋本龍太郎、小渕恵三、各氏の沖縄への情がいかに深かったか、それに比べて小泉純一郎氏以降の政治家たちはすっかり変わってしまったと、翁長氏は私に語った。心が感じられないというのだ。
世代で分けるとすると、翁長氏が「情があった」と名前をあげた4人のなかで、最も年上の後藤田氏は終戦時31歳、野中氏は19歳と、まさに戦争を身体で知る世代だ。そして残る2人、橋本、小渕両氏は終戦のとき8歳、すでに物心がついている年齢と言ってもいいだろう。
これに対して、小泉純一郎氏は終戦時にはわずか3歳、安倍総理が生まれたのは戦争が終わってから9年たったあとだ。
もちろん年齢だけなく、自民党内で育ってきた系譜の違いもある。しかし戦争をリアルな体験として知り、沖縄を「時間稼ぎの捨て石」にしたことや戦後の有りように対して “贖罪意識”を持つ世代と、その世代の直接の声を聞いて育った政治家たち。そんな彼らと小泉氏以降では、沖縄に対する意識で大きな差が生まれても不思議ではない。
元防衛事務次官の守屋武昌氏は、小泉政権下で普天間基地の移設問題を担当した。彼は沖縄の政治家は問題を先送りし、選挙のたびにころころ態度を変えることに閉口したと言う。
だからこそ「一度、(辺野古移設を)合意したら、それ以降の(沖縄からの)話を受け付けてはダメなんですね。際限なく、繰り返されるのが沖縄の姿なんです」と繰り返した。
自民党内から時に聞こえてくる、沖縄を甘やかし過ぎたことが問題を長引かせた、という声にも通じる思いだ。
日韓の関係が悪化するにつれて、番組では日々の動きだけでなく、韓国の歴史を何度も紐解いてきた。保守派と進歩派の思想や原点の違いなどを理解していくにつれ、突きつけられたのは自分がどれだけ韓国のことを知らないか、ということだ。それはおそらく、私だけではないだろう。
沖縄についても、その歴史を今の日本を動かす世代のどれだけが理解しているだろうか。
歴史の知識が欠如したまま、強い言葉が跋扈する時に何が起きるのか。そして同時に世代交代によって過去の記憶が薄れ、消えていくときに何が起きるのか。
私たちは、そうした問いにどう答えていけばいいのだろうか。
【本稿はTBSキャスターの松原耕二さんが沖縄での経験や、本土で沖縄について考えたことを随時コラム形式で発信します】