事故後も変わらぬ米軍の学校上空飛行
「皆さんは今、日本は平和だと思っているかもしれませんが、同じ日本に生きている私たちの子どもの空は、毎日危険にさらされていると思います。」「沖縄の子どもたち、県民の命を守ってほしい。」
2019年12月6日、東京の衆議院第一議会会館で外務省、防衛省、警察庁の担当者と面会した、沖縄県宜野湾市の緑ヶ丘保育園の園長、保育士、保護者たちはこう要請した。要請は3度目だった(『琉球新報』2019年12月7日付記事)。
2017年12月7日、緑ヶ丘保育園の屋根に、長さ約10センチ、重さ約200グラム超の円筒形の部品カバーが落ちる。米海兵隊普天間飛行場所属のヘリコプターの部品だった。13日には、普天間第二小学校でも、真上を飛ぶ普天間所属ヘリから約90センチ四方、重さ約7.7キロの窓がグラウンドに落下。男子児童一人が軽傷を負う。あれから2年。米軍の訓練が、住民の日常生活を脅かす状況は変わらない。
なぜ変わらないのか。本稿では、日米地位協定の条文と運用のあり方から、問題の本質に迫ってみたい。
米軍機訓練に関する規定不在
日米地位協定には、在日米軍の基地外の訓練に関する規定がない。訓練は、基地の中で行うことが前提となっている。しかし、実際には米軍は、日米地位協定第5条第2項の米軍機は「施設及び区域に出入し、これらのものの間を移動」できるという規定を利用。米軍機の基地外の飛行訓練を、基地から基地への「移動」として正当化している。
また、日米地位協定には、有事と平時の区別がない。在日米軍は、常に非常事態、緊急事態を想定した飛行訓練を実施できる。その結果、深夜や早朝の離着陸訓練、低空飛行、パラシュート降下訓練が、住民に深刻な騒音被害や精神的苦痛を与えてきた。
日米両政府が1996年に合意した、嘉手納基地と普天間飛行場の騒音規制措置は、深夜早朝の訓練や低空飛行を制限している。だが、米軍の努力目標にすぎず、規制になっていない。「進入及び出発経路を含む飛行場の場周経路は、できるかぎり学校、病院を含む人口稠密地域上空を避ける」とあるが、2004年には、沖縄国際大学の本館に、普天間飛行場所属のヘリコプターが墜落・炎上した。
両政府は07年に再度、学校上空を避ける普天間離着陸経路を確認。この合意もやはり守られず、17年末には、緑ヶ丘保育園と普天間第二小学校の真上で、普天間飛行場のヘリの部品が落下する。