いまこそ戦争の教訓を語り継げ―沖縄復帰50年の意義―

この記事の執筆者

ウクライナと東京、沖縄

ウクライナから日々、避難で離散する家族や、ミサイル攻撃で廃墟と化した市街地、家族の遺体を抱いて慟哭する人々の映像が届く。かつて日本でも同じ光景が展開された。太平洋戦争(1941~45年)中、日本各地で一般住民を巻き込む無差別大量爆撃が行われたのだ。特に東京では77年前の3月10日、一夜で10万人もの民間人が空襲で亡くなる。いわゆる東京大空襲だ。アジア諸国を侵略し米英など連合国軍と開戦した日本と、ロシアから一方的に侵略されたウクライナとでは異なるが、非戦闘員が犠牲になる戦争の非人道性は昔も現在も同じだ。

毎日新聞記者の栗原俊雄氏は、著書『東京大空襲の戦後史』(岩波新書、2022年)でこう指摘する。「大日本帝国は77年前に降伏した。戦後日本の復興の始まりとなった。しかし多くの戦争被害者がそうであるように、空襲の被害者にとってはそこから新しい苦しみ、悲しみが始まった。」

戦争で家族や家、財産、健康な体その他あらゆるものを失った被害者は、現在に至るまで国から補償を受けられていない。つまり、東京大空襲の被害者は、戦争の非人道性だけではなく、自国政府の非人道性も経験しなければならなかった。

沖縄の人々にとっても、太平洋戦争末期の沖縄戦の終わりは新しい苦しみ、悲しみの始まりとなった。沖縄の各島に上陸した米軍は攻撃と同時に占領を開始、27年の長きにわたる軍政をしく。施政権が日本に返還される1972年まで、沖縄には、日本国憲法も高度経済成長も保険・年金などの社会福祉制度も存在しなかった。沖縄では、「戦後」は1972年にようやく始まったのである。

この記事の執筆者