司法が認めた沖縄戦の実態②

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沖縄を孤立させない

沖縄は日本で唯一、太平洋戦争で地上戦を経験した。これは沖縄の誰もが知っているが、実際にそれで国を訴えるという動きは簡単ではなかった・・・とは後に瑞慶山弁護士から聞いた。

「沖縄戦による身体障がい者が多く、精神異常、耳が聞こえない、目が見えない、字が書けないと大変な状態だった。ほとんどが生活保護を受け、収入も少なく貧しい生活を送っていた」

それでも徐々に準備を進め、2012年に提訴。沖縄戦の民間人の被害者も東京、大阪に続いて国を相手に謝罪と補償を求めた。

その沖縄戦の裁判が始まったことは耳にしていたが、大阪に暮らす私はほとんど情報を得ることができず、報道もほとんどなかった。大阪や東京の空襲訴訟の関係者に聞いてもわからなかった。

瑞慶山弁護士に連絡をとり、その内容を取材し始めた。そこで、ある事実に気づかされた。沖縄戦の被害者は空襲被害者とは異なる側面を持っているという事実だ。それは、被害者の多くが、日本兵の加害によって亡くなったり、負傷した人たちだということだ。空襲による被害は米軍の爆撃によるもので、日米両軍の地上戦に巻き込まれた沖縄戦の被害とは全く異なる。日本兵とは日本政府の軍人だ。その軍人が加害者ということは、つまり日本政府が直接の加害者ということだ。

「大変なことではないか・・・」

そう思った私は直ぐに沖縄に行くことにした。ただ、残念ながらそう簡単に沖縄にはいけない。会社の業務の調整をしなければならず、最初に行けたのは、2015年9月30日、那覇地方裁判所での結審の日だった。

9月末だというのに、その日の日差しの強さを覚えている。かりゆし姿の男性や南国色の服を着た女性が、日差しを避け、木の陰に立っていた。原告はみな高齢だ。杖をついている人、背中が丸くなり歩幅が狭くゆっくりと歩く人。20人ほどが、沖縄の各地から那覇市樋川の裁判所前に集まった。

「1100ページになる最終準備書面を裁判所に提出しました。一方、被告・国はわずか7ページ、ひどい話だ。強く裁判所に迫っていきます」

原告に向けて説明する瑞慶山弁護士の姿があった。

当然、沖縄の地元メディアの記者が取材をしている。地元テレビ局やNHK沖縄放送局のテレビカメラがまわっていた。地元紙は大きく裁判を取り上げている。

「NHKも取材しているのかぁ・・・」

私には意外だったのは、NHKは全国組織だからだ。NHKや全国紙の記者も取材しているのに、なぜ本土でニュースにならないのか?沖縄では大きなニュースになっているという現実。それが本土では伝わらない現実を目の当たりにした。

その時、瑞慶山弁護士から、「大阪から来たんだから、何か言ってくれませんか?」と声をかけられた。これは本土から来た私の義務だと感じた。沖縄を孤立させてはいけない。否、けして沖縄は孤立してはいない。気が付くと、私は「大阪から来ました」とマイクに向かって叫んでいた。

そして法廷。裁判官は合議制で裁判長を中心に3人が鎮座している。きょうで審理を終えることになる。

原告にとって最後の陳述の機会だ。原告の一人が陳述書を読み上げた。高齢にもかかわらず、しっかりとした口調だった。裁判官にはどう聞こえているのか?そう思いながら目の前で語られる被害に聞き入った。

そして裁判を終わった。大阪から来たのは私一人だった。その日、瑞慶山弁護士らに話を聞いた。

記者会見する瑞慶山茂弁護士(中央)

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