草の根の民主主義定着を目指して―具志堅隆松氏らの上京を受けての所感

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もういい加減、沖縄からの問題提起を無視・黙殺するのはやめにしよう

明治維新以降、日本社会は草の根の民主主義を浸透させるのに失敗し続けてきたように思えるときがある。

柳田国男は「伴を慕う心」の中で、社会運動が職業化し、それを見物する者と分化していく状態に憂慮を示した。大正デモクラシーは、軍国主義化・国民精神総動員運動に抗えなかった。松下圭一が『市民自治の憲法理論』で問題提起したように、国民主権を謳う日本国憲法が成立しても、主権の積極的な行使としての社会運動は定着しなかった。

今でも「政治的」「運動家」などという言葉が、社会運動に関わる市民を奇異な職業のように語る傾向を生み出しているし、「主権者教育」だって「選挙のやり方講座」に終わってしまっている面もあるのではないだろうか。

国は消耗戦に持ち込んでくる。だからこそ、私たち市民は、粘り強く創意工夫し、非人道的な国への抗議を生活実践の一つに組み入れていく努力が必要だろう。「草の根の民主主義を実践するトレーニングの相手として、国を利用してやる」くらいの気概が必要なのかもしれない。

私たちの日常生活は、常に政治と結びついている。主権の行使の場は、選挙だけではない。一部の「政治的」な「運動家」が、議員ら職業的政治家と官僚と対決する、というのが政治なのではない。

今回の土砂採取問題は、現在の政権がどれほど国民の人権・尊厳・生活に無配慮かを明白にした。コロナ禍の中で汚職や一部の特権階級のみを潤す政策がまかり通る現状を見れば、非人道的な政権の刃は、あらゆる市民に向けられていることが見えてくる。「人間らしい生活を守るための運動」としてなら、沖縄から始まった土砂採取反対運動も、全国の様々な運動と結びついていけるだろう。

具志堅氏は、院内集会終盤の質疑応答で、そのヒントを示してくれた。具志堅氏は、ホームレス支援事業として那覇市での大規模な遺骨収集をしたご経験や、平和教育・戦争記憶継承の機会として遺骨収集体験を活用できる可能性について話された。ということは、反貧困運動に関わる人の他、教員や平和教育の実践者と、土砂採取問題に取り組む人々とは、すぐにでも連携することが出来るのではないか。

私は冒頭で、今回の直接交渉を「劇」だと表現した。この「劇」を見せつけられた市民は、もう受け身的な観劇者であってはならない。自らの主権を行使し、人間らしい生活を守るために、それぞれの立場・能力に応じた「役」を主体的に担っていくべきではないだろうか。

遺骨で基地を作るな!緊急アクション!」を出してから、いくつかの取材やオンラインでの議論会で記者や参加者の方と意見交換する機会があった。その中で、「アメリカの市民に訴えて、外からの圧力で現状を打開することは可能か?」との質問を何回か頂いた。勿論それも重要な戦略の一つだが、外から押しつけられただけの民主主義・人道主義は、絶対に根付かない。「戦後民主主義」と同じ轍を踏まないために、今回こそ日本の市民自らの力で、草の根の民主主義の実践・定着を果たしたい。

この問題に改善が見られないと、具志堅氏は6月23日の慰霊の日や、8月15日の敗戦の日にもハンガーストライキを断行する予定だという。具志堅氏にこれ以上、そんなことを強いてはならない。

これから4月28日・5月15日など、沖縄と日本の関係のことを考える節目の日もやってくる。もういい加減、沖縄からの問題提起を無視・黙殺するのはやめにしよう。


※「緊急アクション」呼び掛け人の若者たちも、具志堅氏の上京にあわせて声明文を出した。こちらのリンクからお読み頂ける。

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