草の根の民主主義定着を目指して―具志堅隆松氏らの上京を受けての所感

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遺族の知る権利の侵害に加担する行為

国の対応には、改めて腸が煮えくりかえる思いだが、ある意味予想通りであった。役人が人道主義の見地から誠実な答えを返してくれることなど、誰も期待していなかっただろう。今日の国の対応だけを批判していても、この問題は解決しない。

今回の国の対応は、所謂「ゼロ回答」であった。別に新たな問題が加わったわけでもなければ、何か進展があった訳でもない。問題はこれまでと全く同じで、戦いはずるずると長期化せざるを得ないのかもしれない。

「市民の関心を維持するために、新しい問題が生まれ続けなければならない」というのでは、本末転倒だ。しかし、コロナに伴う緊急事態宣言で明らかになったように、同じ問題に対する危機感を持続させるのは本当に難しい。運動体も中だるみ状態に陥ってしまわないか、不安だ。

院内集会を受け、市民とメディアがどれくらい反応できるかによって、今後の運動を巡る環境に大きな差が生まれるだろう。今回の問題については、変化がないこと、そもそもこれほど人道に反した問題が存在すること自体が大問題なのだ。新たな問題や論点がないからといって、関心を失う理由にしてはならない。メディアの方々には、今一度この問題への注目を強めて欲しい。

もし国が遺族に隠れて、遺骨が染み込んだ土砂を基地建設に用いようとしているのなら、それを報道しないのは、遺族の知る権利の侵害に加担する行為である。今も肉親の遺骨が帰ってくることを待ち望んでいらっしゃる遺族の方々は、国がその遺骨をどのように扱っているかを知り、「きちんと肉親を弔わせろ」と国に抗議する権利を持っている。その権利を奪うことも、人として許されることではない。

今日の院内集会に来られた遺族の方は、「戦没者の遺骨は国のものではない。遺族のものだ」と言い切った。具志堅氏も、この問題を遺族に伝えたいとの思いにみなぎっていた。メディアは、その声に応答する義務を果たすべきだ。

そして、市民の側も、今度こそ当事者意識を持って、この問題について語り、行動を起こして欲しい。この問題について、誰かが、どこかで、何か語り・動いていないと、これほどの人道上の問題がなかったことになってしまう。

運動を続けるのは苦しい。しかし、遺族の方々や、具志堅氏をはじめとする方々は、何十年も国の無責任に立ち向かってこられた。そして、これからも同じ戦いを、決してやめられることはないだろう。私たち市民も、それに向き合うべきではないだろうか。一番辛い状態にいる方々が運動をやめない限り、私たち取り巻きの市民が運動に飽きたり、中だるみしていてはいけない。

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