草の根の民主主義定着を目指して―具志堅隆松氏らの上京を受けての所感

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4月21日、具志堅隆松氏・北上田毅氏らが沖縄から上京、国と直接交渉を行った。遺骨が染み込んだ沖縄島南部の土砂を用い、辺野古新基地建設を進めるという蛮行を憚らない国に対し、その過ちを追及するためだ。

衆議院議員会館で、具志堅氏らは3家族の遺族と合流、防衛省・厚生労働省の職員と直接対峙した。その様子は、こちらのアーカイブでご覧頂ける。

直接交渉は2つの意味で「劇的」であった。まず、官僚の側は、用意された役人言葉の「台本」を読み上げるに堕していた。遺族の方が使った「壊れたレコード」という表現が全てを語っている。沖縄戦で起こったことを「理解している」、「遺族や遺骨収集に携わる方々の思いに寄り添う」などと言葉を並べるものの、「理解」してどうするのか、「寄り添う」とは具体的に何をすることなのか、全く説明がない。国と遺族・具志堅氏らとの間では、事実に向き合う態度が正反対だ。

一方、遺族・具志堅氏らの主張には、人を揺さぶる劇的な力があった。直接交渉に同席した宗教者の方は、「遺族の方の言霊が凄かった」とメッセージをくれた。沖縄に遺された肉親の写真を持ち、その霊魂の叫びを載せたような迫真の言葉には、(適切な表現か自信がないが)まるで神事を見ているような気にさせるほどの重みがあった。

「今のお答え、全部納得できないです」

ある遺族の方にとっては(ご発言の、より詳しい引用などは、北上田氏のブログを参照)、沖縄島南部の土砂を採取して埋め立てに用いることは、肉親を「三度殺す」ことになるという。一度目は沖縄戦、二度目は土砂採取時、そして三度目は埋め立て時。国が起こした戦争に、「死んでこい」と言われて動員され犠牲になった肉親は、沖縄に棄民状態で放置された上、新たな戦争を生む基地の建材にされようとしている。その辛さと屈辱を語ること自体、遺族の方々の新たな苦しみの源になっているはずだ。

日本社会がもう少しまともであれば、遺族の方々は今日わざわざ議員会館に来て、こんな話をする必要もなかったのに。そう思うと、自分の無力がつくづく申し訳ない。

具志堅氏は、「今のお答え、全部納得できないです」と怒りをあらわにし、特に厚生労働省を糾弾した。戦没者の遺骨収集は、厚生労働省の管轄事業である。国会は、超党派の議員立法により、戦没者遺骨収集推進法を全会一致で成立させた。つまり、厚生労働省が責任を持って遺骨収集を行うべきだというのは、日本国民の民意だ。それにもかかわらず、遺骨収集を永遠に不可能にする防衛省の計画に反対すら出来ない。彼らには、自らの職分に対する矜持も、国民の負託に応えようという意識も皆無なのか。

厚生労働省は、もはや防衛省の僕になってしまったようである。そうであれば、この国に人命を貴ぶ政治が実現出来ないのも、必然の結果だ。コロナ対応がお粗末なのも納得出来る。緊急事態宣言の相手とされるべきは国であり、厚生労働省だ。

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