未完のサンフランシスコ体制と沖縄復帰50年【下】

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「他国の基地を置くのはどれだけ大変なことか」

 日米安保とセットになったサンフランシスコ体制の負の側面があるとすれば、在日米軍に関わる問題だろう。日本のとりわけ地域社会からすれば、米軍基地との同居を強いられることで生じる負担の問題がある。一方でアメリカからすれば、日本が応分の負担をしていないという不満がほぼ恒常的に存在する。

 高村氏は、日本の経済力が旺盛で、とりわけ上記のアメリカの不満が強かった1980年代、防衛政務次官として渡米した際のことを以下のように語る。「米空軍大佐は『自分は沖縄にいたことがあるからよく分かるが、独立国が自国の中に他国の基地を置くのはどれだけ大変なことか。ワシントンの連中は何も分かっていない』と言ってくれた。後に外相として在日米軍駐留経費交渉に臨む際、この話を十分に活用させてもらった」(『毎日新聞』同上)。

 「独立国が自国の中に他国の基地を置くのはどれだけ大変なことか」とは、安保体制の負担、負の側面をシンプルに言い当てた至言だろう。そのつづきを記すとすれば、「しかも、その7割を国土面積0.6%の島嶼県が抱えることが、いかに大変なことか」となるし、それが「沖縄にいたことがあるからよく分かる」という同大佐の実感ではなかろうか。

 講和条約によって切り離され、米軍基地の拠点となった沖縄には、地域秩序の安定という点で未完に終わったサンフランシスコ体制の負の側面が集約されたとも言える。上記の米軍大佐の至言を日米軍駐留経費交渉だけでなく、沖縄の基地負担軽減・解消という「本筋」のために、是非とも用いてもらいたいものである。「東京の連中は何も分かっていない」とならないためにも。

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