路上生活者の聞き取りと「弱者の連帯」の可能性

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 生身の人間としての存在感に圧倒

水嶋さんは、川崎市でホームレス支援を始めた早い段階で、沖縄出身の野宿者たちの特異な点に気づいたという。

「まず言えるのは、パスポート持参で川崎に来た日本人は他にいません。これは決定的な違いです」

1972年の沖縄の日本復帰前に来た人は全員、パスポート(日本渡航証明書)を持参していた。水嶋さんが聞き取りをした1952年生まれの男性は、3カ月で勤務先の工場を辞めた。この際、会社に預けていたパスポートを取り返せなくなる。男性は知人を頼って大阪の運送会社で働き、1年後に大阪で沖縄の日本復帰を迎えてから沖縄に帰ったという。

「一時、非合法就労までして復帰を待って帰郷した。この人は自己主張もあまりしない、話しベタで、ひ弱な感じのおじさんです。でも、ライフストーリーを聞くと、驚くほどのたくましさで懸命に生き抜いてきたことが分かる。外見からは想像もできない、生身の人間としての存在感に圧倒されました」(同)

たびたび帰郷するのも、沖縄出身者ならでわだ。

「川崎で野宿生活をしながら、沖縄に一時帰郷したり、沖縄で川崎の路上の情報を得たりもしている。こんなこと、他地域の出身者にはあり得ません。なんだろうこの現象は、と」(同)

沖縄以外の出身の人は、「もう故郷には帰れない」と思って野宿生活を続けている人が多い。しかし、沖縄出身者は決して安くない航空運賃を工面し、思い立ったら帰郷する。ただ、沖縄に戻っても、長くはとどまっていられず、川崎での野宿生活に戻るケースも多い。その理由についても水嶋さんは今後、解明していく予定だ。

特徴はまだある。沖縄出身の野宿者は身を寄せ合ってテント生活を送るなど、独自のネットワークを形成する傾向が強い。他の野宿者から「沖縄軍団」と恐れられるほどの結束力で、野宿の場所取りや生活物資の収集も助け合っていた。ウチナーンチュ(沖縄出身者)同士ということで意気投合して路上で酒を飲み、ホームレスではない沖縄出身者から職場を提供される事例もあった。弱い立場にある仲間をほっておかない特性も、沖縄出身の人にはより顕著であることもわかった。

一方で、飲酒絡みのトラブルが絶えず、アルコール依存で亡くなった人も少なくない。川崎市で沖縄出身の野宿者が加害や被害の当事者になる刑事事件が90年代~2000年頃にかけて相次ぐなど、支援にかかわる上で注目せざるを得ない面もあった。

水嶋さんは言う。

「ウチナーンチュの野宿者はある意味、ホームレスの代表格なんです」

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